港のレストランへようこそ 7

 誰かがこの絵をこの日に書いたのだとしたら、このネックレスは一度ここに持ち込まれているということ。
 じゃなきゃ裏の留め金なんて知りようがない。
 持ち込んだ者、すなわちネックレスの持ち主。
「今の持ち主は誰だ」
 机に前のめりになるのを抑えて聞くと、婆は喉の奥から笑い声のようにぼそりと再び呟いた。
「言えないねぇ」
 矢張り知っているのか。婆は淡々とした表情に戻った。
「なぜ」
「そういう約束をしたんだ」
「金を追加で払おう」
 多少ある財布の金で足りるかどうかがよぎる。
 しかし婆のほとんどない眉毛が片側だけくいっと上がると、
「金の問題じゃないのさ」
 事ある毎に金を要求する婆が何を言い出すんだ。
 だが、むっつりと黙り込むこの様子。本当に金では動かなさそうだ。
「絵は貰った。暫し待て。
 やれるこたぁやっといてやる」
 最終通告とばかりに言い放ち、ネックレスを俺のほうにずず…と押し出して、
「首からぶら下げといたっていいんじゃないかねぇ。見た目以外には特に何もない魔道具だ。
 もしかしたら持ち主が見つけて、声かけてくるかもしれないしさ」
 俺を小馬鹿にするような笑いを漏らした婆は、そのままもう話すことはないということなのか、机上を整理し始めた。
 こうなるとテコでも情報は引き出せない。
 遠慮を忘れて舌打ちすると、婆が笑いを漏らしていた。
「まあ、アンタにとっても悪かないはずさ。
 バーギリアが導いてくれるんだから…」
 最後のほうは消えそうな声で言いおいて、そのまま婆は奥に消えた。
 静かになった小部屋に、これ以上いとどまる必要もない。
 ポケットにネックレスをつつきこむと、背後のドアを開けて来た道を戻り、さっさと軍の詰め所に。
 訓練の時間ギリギリ。危うくランドルに大目玉を食らうことになるところだった。
 俺という教官役が訓練に来ないなどありえない。
 唯一ここに来ている人間で俺につべこべ言える、昔馴染みとの面倒事を避けることができて何よりだったが、
「訓練直前、どこ行ってたんだ」
 訓練後に聞いてきたのは流石ランドル。
「さあな」
 黙り込んでそのまま立ち去ろうとする俺に、
「チリカが捕まらなくてご立腹か?」
 そのランドルの声を聞きつけ、ルースが、
「まじすか。午後っつってたんすけど、もういなかったんすか?」
「声デカいぞ」
 訓練後のかたずけがルースの担当の日で、その場に俺含めた3人しかいないからよかったものの、まだ大っぴらに聞かれていい段階ではない。
 ルースは『うぃっす…さーせん』としょげた様子になった。
「魔法使いは来るのか?」
 ランドルが出した手紙に中央が答えたのであれば。
 魔物が出た可能性があるということで、王宮と協力体制を魔法使いの誰かがやってくる可能性はあった。
「ああ。一人来ることになってる。
 まあ手紙の文面から察するに、『一応人寄こしてって事だったから』みたいなニュアンスのようだがな」
「来ることになっただけマシだ」
 この辺りは昔は前線だったが、今はもう大した意味をなさない。
 停戦を機に陸続きの国境線は一つ山向こうになっているし、魔物の巣窟として有名なカロネアのあたりと違い元々山側は穏やかなところだった。
 だから、軍の詰め所と言っても形だけに近く、警察と軍をごっちゃにしたような様相になっている。
 戦後整備が追いつかず、なし崩し的にそうならざるを得なかった。
 ランドルの下は俺の班とあと二班だけ。
 その『俺の班』にしても、メンバーは四人だけ。
 脳筋の集まりたる軍人なのに、事務処理を手分けしてがやっているのは単純に人がいないから。
 平和なのはいいことだったが、そんな中で起きた魔物騒動は港街に大いに話題提供している。
「いつ来るんだ」
「来週辺り」
「思ったより早いじゃないか」
「俺もそう思ったけど、戦後の態勢復旧のアピールでもしたいんじゃないか?」
「解決出来りゃ何でもいい。婆は『わからん』だったなら俺らには他拠り所もないからな」
 うんうんと頷くルース。
「他の奴らにも伝えとくぞ」
「頼んだ」
 そのままルースとともに詰所に戻ると、パンパンと手を叩いた。
「ちょっといいか」
 全員を手招きすると、詰所の俺の机の前に集まってきた。
「来週中央から兵と魔法使いが来る。
 この前港で出た魔物の件の調査だ。
 関連対応を頼む。
 受け入れ案内各種はサムズ。
 宿の手配はシモン。
 あとは俺のほうでやる」
 言い終わると、サムズは茶色の髪をかきあげて、
「実際にやる調査内容とか段取りとかは分かってるんですか?」
「細かいところはまだだ。
 海に潜って周辺調査はするが、何時ごろ何を? は未確認」
「とりあえず来て見てやるか、ってスタンスですかね」
 役割りが当てられていなかった年嵩のソニックはまあしょうがないかといった表情で聞き返した。
 黙ってうなずくが、
「魔法陣臭い謎の落書きが見つかったから、それに興味を持ったのかもしれん。
 いずれにせよ俺らは準備するだけだ」
 この一回で俺たちや漁師らが納得する答えが出るとは思えない。
 ただ、いつも通りの『漁に出られるうらぶれた田舎の港町』に少しでも早く戻すため、少しでも早く安全確認を取りたい。
 俺が潜った後は魔物の姿が見えないこともある。
 そんな話をざっくり全員にしたところ、首を縦に振って持ち場に戻っていった。
 息を吐き出し、ゆっくりと自席に腰かける。
 脳裡に海に飛び込むチリカの姿がよみがえった。
 こびりついたように取れない。
 だからだろうか。
 婆のところから戻っても、ポケットの中に突っ込んできたネックレスをこの職場の引き出しにしまう気になれないのは。 
 チリカのことは一旦脇に置き、魔物の確認だけ取れれば一安心で漁を解禁できるのだ、その後で取り調べを…などと、何とかお堅い話を考えようとした。
 が、何度他のことを考えようとしても、チリカの飛び込む姿が思い出されてしまう。
—————あんなの、反則だ。
 しなやかな裸体。夜の水面からするりと海中に滑り込み、そのまま消えていく様。
 顔を見たルースから別に普通だったと報告を受けているし、食堂のカイトも何ら不信な様子はなかった。
 だから問題ないはずなのに。
 あの時のチリカは海に身を投げるかのような勢いだった。
 少なくとも俺にはそんな風にすら見えた。
 だからってあまりチリカのことを今本人がいないところで騒ぎ立てるわけにはいかない。 
 チリカに不審な点があったことが漏れただけで、チリカ自身とあの店に影響が出てしまうし、何よりチリカが逃げるだろう。
 我知らずポケットに手を突っ込み、ネックレスを触り、俺にだけ美しいというしずくのような形としっとりした石の表面の手触りを感じる。
 婆の『待て』は、俺が犬で婆が俺の飼い主になったような気持ちにさせられた。
 蘇る苛立ちに任せて机上の書類と予定を確認したが、頭に入ってこない。
 明日からの仕事中に引きずらないように、今日かたずけておかないといけないものばかりなのだが。
 そんなに女日照りだったろうか。十代でもないのに。
 カイトの冷やかす声が蘇る。
 このままでは本当にその通りみたいになる。
 だからひとまずペンを握りしめ、書類をめくることにした。

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