ドラッグストアへようこそ 60

 裏口のドアを開けると、ベータが立っていた。
「起きたのね」
 ベータはけだるげにウンとかスンとか言いながら、のそのそしている。
 頭はまだ働いていないような。コップに水を汲むのも億劫な様子。
「ちょっと、寝るかそっちに座ってなさいよ。水ぐらい汲んだげるから」
 ベータはジッとフォニーを見て、黙って椅子に座った。
 フォニーが水を汲んで持っていくと、
「お前、元気そうだな」
 蚊の鳴くような声だ。
「ウン!」
 満面の笑みを作ってみせると、ベータは一瞬だけフォニーを見た後目をそらし、深いため息をついた。
 フォニーはベータに背を向け、自分用の水をコップに注いだ。
「今日は宴会の日から5日目よ」
 聞かれてもいないのに答えるが、ベータは黙ったまま。
 フォニーがベータに振り返っても、ベータは手元をみてぼーっとしている。
 コップの水を飲み干して、わざと強めにテーブルに置く。
 コップが割れない程度に大きな、カツンという音が部屋に響いた。
 ベータはフォニーを見上げながらコップの水を飲み干す。
 アイウェアは物憂げな視線を一方的にフォニーに投げかけているが、それはベータの意思の通りなのか分からない。
 水を飲み終わった様子。その後、
「どうする?」
「寝る」
 で、自室に直行。
—————大丈夫なの??
 この時フォニーはまだ、このルーチンをあと2日繰り返すことになるとは思っていなかった。
 二日間にわたって、ベータが休んでいる間——つまりフォニーの心をベータに読まれない間——フォニーは考えた。
 魔界に戻れるんじゃないか。ここにもう、いる必要はないんじゃないか。
 でも、魔王には息子をよろしくお願いされている。
 しかし常駐する必要はないだろう。
 でも。やっぱり。いや、もう一度考えて。
 おかしそうに笑うクレアの顔が浮かぶ。
 何度考えても、やっぱり答えとしては、
—————出て行った方がいいけど、通行証だけは何とかしないと。
 居候がいない生活のほうがベータは楽。間違いない。
 フォニーとて、人間界の宿泊所が必須なわけではない。
 ただ、通行証がないと人間界との行き来が不可能。
 フォニーは強い魔族であるサキュバスは、実のところ魔界だけでは生活ができす、どっちか一方だけ住処を選ぶなら、間界に残る他はないという、困った種族でもあった。
—————アタシにかかってる魔法を解いたうえで通行証の再取得。無茶かなぁ~…
 随分なわがままの気もするが、言うだけタダではないか?
 ひも付きでなくても構わない程度に危険がない魔族であることは証明できたはず。
 昨日は男漁りもしなかったし、街に大被害は出さないようにしていれば、まあ大丈夫であろう。
 通行証、いや、せめてこのひも付きを解除して、ベータの下から離れられるように。
 考えながら、必要もないのにぼーっとコップの水を飲み干すベータを思い出し、必要もないのにその絵面を脳裡から振り払うようにかき消す。
 これを何度か繰り返し、これではだめだと思い、声に少しだけ出してみる。
「いつ切り出すか、よね」
 そのセリフをフォニーが口に出した翌日にあたる、宴会後8日目。
 ベータの活動はほぼ元に戻っていた。
 ややダルそうではあるが、棚の中からモノを引っ張りだし、床中に広げ。
—————クレアさんとこに行く準備かな?
 薬草を取り出し、台所で乳鉢に薬草を放り込み。
「何つくってんの?」
 フォニーがのぞき込むと、ベータが仰ぎ見、少しだけ動きを止め、
「傷口の直りを早くする練薬だ。孤児院に持っていく」
 ベータは手元に視線を戻し、ゴリゴリと薬草をねっとり擦り合わせていく。
「じゃ、この後の予定は孤児院ね」
 フォニーは先ほど少しだけ動きを止めた、その時間がなんとなく前より眺めだった気がしたのを思い出していた。
「ああ、しばらく行っていないからな」
 そんな風にフォニーが思っていることはベータに筒抜けなのは明白で、そのことにしらを切るかのように、手元を動かし続けるベータ。
 練りあがった薬草に粉末を加え、ねっとりとクリーム状に仕上げる。
 何故だか一緒にいる間に、ベータが少し、疲れてきているように見えた。
「大丈夫?」
「心配し過ぎだ」
 見上げた顔は別にどうってことはない。いつものベータ。
「そ。悪かったわね」
 ベータの口元が一文字に結ばれている。マズかったと思ったのだろうか。
「他に持ってくものは?」
「その棚に風邪薬と熱さましの作り置きがあるから」
 フォニーは飛んで行った。
「いつ作ったの?」
「宴会の前に少しずつ」
 予定の調整だって何だって、こんなにできるのに、なんで思い付きであんな可笑しな実験魔法陣を作り出してしまうのだろうか。
 思いながら荷物をまとめる。
 日常が戻ってきたのだ。
 ベータの箒の準備の前に服を着替え、荷物の準備をし。
 ベータが跨った箒の後ろにまたがる。
 自分で飛ぶことができるのは分かっているのに、この時はベータの後ろ。
 それが定位置。
 ベータの箒飛行のほうがフォニーが羽ばたくよりも速い。
 最初に乗ったときは加減していたのだろうが、もう回を重ねているので速度は最速よりも多少遅い程度になっているようだった。
 ベータにしがみつくと、汗臭さがない。
 今日の午前中に水浴びをしてきたのだろう。サッパリしている。
—————この暮らしがこのまま続くの、悪くないわね。
 男漁りして、ベータのうちに居候して、悪いことないじゃないか。
 明るい気持ちになっているフォニーに、今までなかったことだが、ベータが大きな声で、
「男漁りは余計だ!」
 びっくりしてそのまま何も考えられなくなって、辺りの景色が先ほどよりも早く行き過ぎるのを見ているうちに、孤児院までやってきた。
 ぽかんとしていたが、箒から降りたベータはスタスタと入り口へと歩いていく。
「ちょ、ちょっと!」
 なんだかデジャビュ。
 最初にここに来た時もこんな態度だった気がするが、あの時は無神経・今は何か思うところがあって(?)ベータはフォニーを置いて進んでいった。
 もう今、ドアを開けようとするベータの背後に追いつくところで、ベータはビタリと動きをとめ、振り返った。
 フォニーを眺めて、またドアのほうを向いた。
 一瞬見せたベータの顔は、怒っているように見えた。
 これも、前に似たような顔をするところに遭遇していたが、今回なんだか寂しいというか、悲しいというか、そんな顔に見えた。
 考えをまとめる前に、孤児院のドアが開いた。

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