港のレストランへようこそ 22

「お前たちの国はまだあるのか?」
「ないわ」
 即答。
「じゃあ、どうやって?」
 チリカは寂しそうにしながら、
「あなたも体拭いて。ここでその話するのもなんだから」
 布をポイと投げて寄こす。岩の中なので風もなく、外よりは温かいから気にしてもいなかった。
 受け取った布で自分の体を拭き終わって部屋のような場所の中に向かう。
 床に直置きされた布――縁に金色の模様のついた緑色の四角いもので、食卓の代わりだろう――。
 その上に茶と茶菓子が用意されている。すぐ横の大きな水筒から注いだようだ。
 月明かりだけだったが、大きな蝋燭が灯されている。
 その光で下から照らされたチリカの目が青く光った。
 チリカは慣れた様子で横座りしており、俺の分と思しき茶はチリカの正面ではなく斜向かいに置かれていた。
 チリカは俺の顔を見上げて黙っている。
 座れ、ということなのは理解できるのだが、いささか飲み物と食べ物に対する不安がぬぐえず、恐る恐るかがむと、
「何も入ってないから。お茶は店で出してるのだし、お菓子は今日食材の買い出しついでに買ったやつよ」
 確かにこのビスケットは店の向こうにある角の菓子屋に置いてあるものだ。安堵して胡坐をかいて座り、茶を一口すする。
 あのレストランの茶の味。肩の力が抜けていく。
 一方でチリカは寧ろ緊張しているようだった。
 チラチラと俺のほうを見ながら、ほんの少し取っ手のない木製のカップに口を付けてため息をついている。
 目の前の俺が信頼に足る人物か、こんなところまで連れてきて置いてまだ疑っているのだろう。
 『ほんとにコイツ大丈夫なの?』とでも言わんばかりだ。だからだろう。切り出されたのは、
「この前の魔物が出た場所でこのネックレス拾ったって言ってたけど、他に何か見た?」
―――――あの魔法陣の話だな。
「ああ」
 チリカは俺の顔を見て、うつむいて、また見直した。
「それ、私の尾びれと同じ模様ついてた?」
「ああ。そうだ」
 思わず目を見開いてしまった俺。それを見て、チリカは観念したような顔になった。
 つばを飲み、深呼吸をする。チリカの茶はすでに空になっていた。
「人魚の国はもうとっくにないわ。
 集落とか、村とかも、少なくともこの辺りにも私が知っている隣の国にもない」
「じゃあ、なんで」
「順番に喋るから」
 チリカは空になった俺のカップと自分のカップに水筒から茶を汲んだ。
「人魚の国がこの沖の向こうにあったのは知ってる?」
「ああ」
「滅びたのは、そうね…大体百五十年前ぐらいかしら。
 その前はずっとここの港町と交易があってね。人魚だけが取れる深海や未踏海域の資源を売買していたの。
 陸の国も今よりずっと小さい国に分かれてて、この港町の国は向こうの山からコウペイ街の手前まで。
 この辺の詳細は歴史書にあるところが多いと思うけど」
「嫌に詳しいな」
「でしょ?」
 本当に寂しそうに茶菓子を啄むチリカは、この後取って食われる小鳥が餌を食べる姿に一瞬重なった。
 普段は俺に聞かれないと喋らないチリカが一方的に喋っているだけで相当な異変なのに、それよりも一瞬自分の脳裏に浮かんだ考えのほうが気になった。
「この前まで戦争してたお隣の国もあんな大国じゃなくて、集落やらなにやらが集まっただけ。未開の地っていうのが近かったと思う。
 そこと比較すると、海の中のほうが国の統一は進んでいて、そのなかだと三番目の大きさだったのがこの沖の国。
 人魚が全体的に喧嘩っ早いのはそのころでも『昔っから』って言い方されてたから、人間の国よりもずっと血の気が多かったんだと思う。場合によっては死人も辞さない構えでケンカしてた。
 人間の男と人魚の男が一対一でケンカしたらまず人魚の男が勝つ。生まれつき下半身の力が強いから当然ね。
 基本的には友好関係を気づいていて、人の交流もあったし婚姻も交配もしていたのがそのころの状況。でも、」
 チリカは茶菓子をつまみ、お茶で流し込んだ。
―――――チリカがこんなに喋んの初めて見たな。
 滔々と語る口調に普段の斜っ端な様子はない。しかも歴史書にしかないような話を見てきたように。
「人魚の国と人間の国のうち、一番大きい国同士がすっごく揉めて、戦争が起こったの。
 人魚の国側としては、売られたケンカだったって話なんだけど、実際のところはよくわからない。
 最初のうち他の人間の国はほとんど傍観の姿勢だった。
 でも、その戦争で、人魚の国が勝って、人間の国が一つなくなり、領土が人魚の国のものになった。
 近隣の人間の国の王達は戦慄したわ。自分達の国にも攻めてくるかもしれないって。
 実際には人魚の国は陸地にあまり興味がなかった。
 海辺の一部ぐらい領土にあると多少便利かもしれないけど、統治が大変だし、寧ろ人間と友好交易するほうが利益があると考えていた。
 侵略なんて起きえないんだけど、人間にはそんなの分からない。
 だから秘密裏に国家間連合を結んで、人魚一人に対して十人以上の人間で戦えるような大軍を結成した。
 魔法使いも呼び寄せた。世界一って言われてた人は無理だったけど、勝るとも劣らないってレベルの魔法使いを何人もそろえた。
 そして、その一番大きい国を攻める前に、自分たちと同じような連合を組まれると厄介で、滅ぼされた人間の国と同じくらいの規模の国を攻めたの。
 それが三番目の国。この沖にあったところ。
 丸腰だったから、ほんとに数日だった」
 チリカの唇が震えている。
 まるで見てきた惨劇を思い出しているように。
「それで、沖にあった人魚の国は壊滅。その後は雪崩式だったみたいね。
 一番大きい国は人間の国と同様に連合を組んで粘ったんだけど、人魚のほうが人間よりも種族によって身体特性や能力が異なっているせいもあって統治が難しかったみたいなことが本なんかには書いてある。
 実際そうだと思う。
 それに、最初の…その三番目の国が滅ぼされた後、見せしめとして人魚の国の王族達は人間に食べられたんですって。
 実のところ人魚側が人の肉を取って食べることがまれにあったから、お互い様って言えば…そうなんだけど」
 恐ろしい話を間に挟みながら、チリカは目に涙をためているように見える。
 ぬぐってやりたい気持ちになるが、チリカ自身が手首で目元をこすって、少し腫れた瞼でまた元の通り淡々と話し始めた。
「そこで人間が気づいちゃたのよ。人魚の肉が人間には旨いって。
 海の生き物にとって人魚は猛毒で自分たちよりずっと賢い生き物だから、人魚は他の海洋生物から襲われることはない。そういう海の力関係に、人魚が胡坐をかいていたのかもね。
 戦争に勝ってこの発見をした人間は、この先の勝利のために、これにさらに尾ひれを付けて御触れを出した。
 『人魚の肉は万病を癒し不老不死になれる』。
 戦士を鼓舞するのに良かったんでしょ。
 まあ、聞いた話でしかないけど食べたら兎に角美味しいんだってさ。
 だからすぐそんな眉唾とかどうでも良くなったんじゃないかしら」
 水筒から勝手にお茶をチリカのカップに注いだ。
 チリカはいつになく穏やかな笑みを浮かべている。喋って気持ちが軽くなったのだろうか。
「あの魔法陣は戦争が起きる何年か前、たまたま魔法の研究のために訪れた世界一の魔法使いと共に人魚の王家がその魔力を結集して組み上げた秘術。
 有事のためにってことで、もう使用済みだから今は何もないけど…」
 懐かしそうにしている。
「国に何かあったとき、安全かどうかは分からないけど、今とは状況が変わっているはずのどこかに王族を一人でも逃がすためのもの。
 あの模様は王族の尾びれに出る模様。私はその王族の生き残りなの」
「さっき、食われたって」
 チリカは穏やかなのか空虚なのかわからない笑みを浮かべているが、俺から視線を外さない。
「三番目の国の人魚には生まれつき使える魔法がある。
 ほんの一瞬先の未来が視える魔法。
 王族は特にその力が強くって、私は頑張ると五分ぐらい先まで。
 自分の行動によって変化する未来のパターンも全部視ることができる」
 チリカの目を見つめると、チリカもまたまっすぐに俺を見つめ返していた。
「未来への時間跳躍。
 魔女バーギリアとともに第三の人魚の国が作り上げた魔法陣よ」

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