ナム副隊長とペジェ伍長の出立は、ナム副隊長の頭痛で1時間ほど遅れた以外予定通りだったという。
休暇三日のうち前半二日は寝て過ごし、残り1日用事で出た時にすれ違ったカザミ軍曹からの情報。
結局小さい街だから、休みでも仕事の話がついて回る。一応、上から数えたほうが早い階級だし余計だ。
今はとにかく用事。それが一番重要なことだった。
あの日あのネックレスをチリカに渡した後、チリカが今どうしているかは知らない。
しかし、分かったことを一つずつ聞く必要がある。
あの日とほとんど同じ道筋をたどり、隘路の奥の木製のドアを開けた。
「おい、クソ婆」
いつもながら誰もいない。声は返ってこない。
誰もいないその場に、客然としてそのまま椅子に腰かけた。
「何で俺が来たか、どーせわかってんだろ? え?」
奥からごそごそと音がする。
婆は爆竹のようなものを大量に抱えてやってきた。
「なんだそれ」
「アンタが随分気が立ってるようだから、一応護身用さ」
自爆用にしか見えない。
「なんもしねぇよ」
「ひひひ」
備えを見せて荒事を避けようということか。
俺が話を切り出す前に、婆はニヤニヤしはじめた。
「ネックレスはどうした?」
「持ち主に返した」
おそらく婆の予想通りの回答だったのだろう。
だが婆の顔は俺が予想していたもの——下世話で下世話でしょうがない、居酒屋でからんできたり物乞いに絡んできたりする類の奴らの笑み——とは違っていた。
まるで実の孫か何か大事な子どもの心配が解消されたおばあさんのように、穏やかで温かい笑みだった。
—————この皺妖怪でもこんな顔になんのな。
生まれつき毒気が染みついているのかと思っていたのだが。
「持ち主は何て?」
「いいのかって」
婆が寂しそうな顔になり、
「そうか…」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声だった。
「で、なんで黙ってたんだ。チリカだって」
婆はゆっくりと、
「言ったろ? 金の問題じゃない。約束したんだ」
知っていたことを暗に自白した婆に、
「もうわかったんだから」
婆はかぶりを振るだけだ。
だが、以前のように秘密を守るためというより、役割りを終えて安堵しているように見えた。
『聞いた』という実績をつくるためにもう一つ聞いた。
「あのネックレスに魔物を引き寄せる効果とかないよな」
「ないよ」
即答だった。
「じゃ、一体何なんだよ」
今のところ『見えて』いるのは俺とチリカだけ。意識が向くのはナム副隊長・婆の4人だけ。
「言ったろう。魔女バーギリアの魔道具だ」
婆は座ったまま、爆竹を袋にしまいだした。
「他は?」
「ない」
「なぜ断言できる」
チリカがあのネックレスを不意に落としてしまったとしても、このネックレスに誰も知らない力があって、そのせいで魔物が出ていたのかもしれない。
だとしたら、返しはしたが要注意ということになるのではないか。
あの執着のしようだから、本当に注意するぐらいのことしかできないが。
「言えないねぇ…言えない」
婆は頑なだったが、前回とは違って皺具合がどことなく寂しそうにも見えた。
これ以上口を割ることはできないのだろう。
ジッと婆を睨みつけるが、婆は俺と目を合わせることはないまま。
「なんかあったら言ってくれ」
婆に吐き捨てて踵を返す。
閉まり行くドアのその向こうから、一言だけ聞こえたのは、
「おひいさまをよろしく」
バタンと音を立てる。
もう開ける気にはならないものの、その言葉に引きずられて振り返ってドアを凝視した。
—————おひいさまって…姫ってガラかよ。
あのチリカが姫なら、世の中姫しかいないことになってしまうではないか。
姫というより女王様だろ、などと突っ込みまくりながら来た道を戻ると、そのチリカが往来の向こうからやってくるのが見えた。
言葉も交わさずそのまま晴天の下の往来を過ぎ去ろうとしたとき、向かいからやってくる女。
まさに、噂の女だった。
「どこ行ってたの?」
チリカはコックコートに手荷物を持ってこちらに近づいてくる。
「どこだっていいだろ?」
その通りだと思ったのか、
「そ」
と一言。そのまま立ち去ろうとする。
「お前こそどこ行くんだ」
「どこだっていいでしょ?」
振り向きもせずに吐き捨てたチリカは、今俺が出てきた方向に消えて行った。
ということは、
—————婆んとこか?
あのあたりに人が立ち寄る場所なんてあそこしかない。
聞き耳を立てるスキルはない。しかし捜査は必要な事案なわけで。
ばれないように近づき、チリカの行き先を確定させることはできるか。
—————これじゃナム副隊長より俺のほうが立ち悪いストーカーじゃねぇか。
が、婆が嘘をついていて、あのネックレスのせいで魔物が出るなんてしたら、今度こそチリカが魔物に食われることになる。
なにせ常時身に着けているのだから。
少しだけ時間を空けて、慣れているとは言いにくいが極力足音を消して静かに元来た道を戻り。
隘路の手前にやってきた。
その向こうで、木製のドアが閉まる音がする。
チリカ以外はこの辺りにいなかったはず。だとすると間違いなく婆のところに行ったのは。
この道は行き止まり。だから、こちら側に出てくるしかない。
暫くしたら、矢張り木製のドアの音。
後を付けていたわけではない、と自分に言いきかせ、踵を返して戻ろうとしたが、チリカが来るのが早かった。
隘路の入り口でガッツリ俺の顔を見上げたチリカは、
「後つけたのね?」
「忘れ物したから」
「アンタも?」
木製のドアをちょっとだけ振り返る。驚いているという様子はない。
「婆に聞いたんだろ」
「ええ」
「顧客情報を漏らすとはよろしくないなぁ」
思ってもいないぼやきをチリカから目をそらしながら吐き出す。
チリカの首、コックコートの外したボタンの隙間から少しだけ、見覚えのある鎖が見えた。
俺が返したネックレスがぶら下がっているのだろう。
チリカはいつもの小馬鹿にした調子だけではなく真剣さを孕んだ声色で、
「アタシに首突っ込むと大けがするよ」
チリカの顔の、黒目のなかに俺が映っているのが見える。
チリカに、というよりは、映り込んだ俺自身に向かって言い放った。
「知ってる」
チリカの黒目は一瞬大きくなり、この前の夜のようなあどけない顔になった。
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