港のレストランへようこそ 14

 ナム副隊長とのにらみ合いはほんの一瞬だった。
 理由はその時チリカが俺を見たから。
 そのチリカにナム副隊長の視線がすぐ移ったからだった。
 チリカはナム副隊長を見ながら首を横に振った。
 ナム副隊長はそのまま俺を見て、訝しむ顔をした後、またチリカを見て、少しほっとした後に静かにその手の力を抜いて降ろした。
 ふらふらしながら黙って宿に向かう足取り。
 送っていくのは野暮だろう。
 小さくなる背中をある程度見送ったところで、チリカの顔を見る。
 俺の首のあたりを見た後、またも迷いながら、
「ありがと」
 うつむいている。
 ふわふわとしたパーマの毛がいつもより重そうに見えた。
「遊びすぎは気を付けろよ」
 唇をかみしめ、拳を握って黒い目で俺を睨みつけるチリカは、普段とはだいぶ違っている。
—————怒りって感情、あんだな。
 口を挟まれたのがそんなに気にくわなかったか。
 また一つチリカはため息をついて、ボソリと呟いた。
「あの人のところ出てってから気を付けるようにしたのよ」
—————『あの人』、ね。
 昔の男の匂いのする女。
 地雷でしかないが、コレに引っかかる男たちの気が知れない。
 だったら今この女をかばった俺も、もうその気が知れない野郎どものお仲間なのか?
 だが、細心の注意を払ってそういう匂いを醸しださずに遊び倒しているチリカの怒りを目の当たりにしている時点で、チリカの中で俺は別の何かに昇格か降格しているのかもしれない。
 そんなのを無感情に眺めていると、逆にチリカは俺の首のあたりを何度も見たり目をそらしたりと挙動不審な様子。
「どうした?」
 と言いつつ、もうなんとなく内訳が分かっていた。やはりそうなのか。
「ネックレスなんて、付ける趣味あったの?」
「最近拾った」
 暫く間が空いた。
「どこで?」
 夜でチリカの顔色が分からない。昼間のほうが良かったのだが。
「どこだと思う?」
 チリカはかぶりを振った。
「どんなの?」
 服の下に隠していたそのペンダントをそっと取り出し、チリカの様子を伺う。
 ペンダントトップが見えた時、チリカが小さく『あっ』と声を挙げたような気がした。
「お前のだったのか」
「うん」
 大きく頷いた。
 もし魔物の何かに関わっていて、その時落としたのだとしたら、こんなに馬鹿正直に言うはずがない。
「で、どこで落としたんだ?」
 ペンダントを首から外しながら尋ねると、不思議そうな顔で、
「港のちょっと向こうで泳いでた時」
「いつ」
「魔物が出たとかって騒ぎになる前」
—————こりゃ、白だな。
 正直すぎる。
「俺が魔物に襲われる前ぐらいか?」
「ううん。その前。たしか三日前。前回ここに来てすぐの日」
 だとすると魔物が出た時期とおおむね一致する。
 もしかするとコイツが食われていた可能性もあったわけだから、間一髪だ。
「で、どこで拾ったの?」
 チリカは明らかに腕組みしたり足を組み替えたりして落ち着かない様子。
 こんなに食い気味に聞いてくるのには何か理由があるのだろうか。魔物と関係があるのか?
「魔物に襲われる前の事前調査で、出たって言われた辺りで拾った」
 驚いた様子のチリカに、
「ほら、手」
 ネックレスを持った手を前に差し出す。
 さらに驚いた様子で、チリカはその手を差し出した。震えている。
「いいの?」
「拾っただけだから」
「証拠品じゃないの?」
 痛いところを突かれ、目をそらす。チリカは受け取ったネックレスをしげしげと眺めた。
 隅から隅まで眺めまわす。
 紫の石、辺縁の飾りをそっと撫でてからひっくり返し、裏側の蓋を親指でぬぐって爪あたりをつまんで開いた。
—————ネックレスの本当の姿がチリカには見えている。
 蓋の内側を指で触っているこの様子。
 もし他の奴らがこの場にいたら、チリカの手元は何をやっているように見えるのだろう。
 蓋の中を見て閉めたあと、小声で、でも叫ぶような声音で、
「何で拾ったの?」
 証拠品になりえる物を勝手に拾得したこともだが、このネックレスの姿が美しく見えていることをチリカに素直に言うのは嫌だった。
「いいなと思ったんだよ」
 チリカが俺を見る目が小さな子供ようにあどけない様子になる。
 そして急に慌てて手元のネックレスを首に掛けようとして、取り落した。
「ったく」
 かがんで拾い、少しだけ埃を払った後、両手でチェーンを広げる。
 呆然とするチリカに一歩だけ近寄って、首筋に掛ける。
 後ろで縛った髪の毛が絡まらないように持ち上げてそっと置くようにして手を離した。
 香水のような甘い匂いはかつて嗅いだことがないものなのに、どこか懐かしいような気持ちになった。
 チリカは人形のように微動だにしないままうつむいている。
「もう無くすなよ」
 どうにでもなれと思ってそのままチリカの顔も見ずに言い放ち、住処へと足を向ける。
 後ろからチリカの視線を感じた。
 そのままずっと歩いて行く。
 つい暫く前はあのネックレスが元々ナム副隊長からもらったものという説を少し持っていた。
 が、あの気丈なチリカの取り乱しよう。ナム副隊長への冷ややかな態度。
 元々チリカの持ち物だったのだろう。
 ナム副隊長はあのネックレスの本当の姿が見えなかったのではなかろうか。というかおそらくそのことを他の人間と同じく知らない。
 他の人間はあのネックレスを視界の中に入れなくなっていったが、チリカに執着したナム副隊長はあのネックレスを覚えていた。
 良くも悪くもチリカを気に掛けているというのがトリガーなのかも知れない。
 だったら何だろうと思いながら歩き自宅にたどり着く。
 暫くでも自分の首元にぶら下がっていたネックレスがなくなったことでそこはかとない心もとなさがある。
 そしてまた一つ、気になることがある。
—————やはりあの日、チリカが海に入っていた可能性がある。
 あの時見たのが幻影かと思っていたが、あんな様子で執着していたネックレス。
 魔物が出ていても危険を顧みずに海に飛び込んでいたかもしれない。
 魔物に気づいていた様子はなかったから、あの時の『人魚』は別の何か——推定関係者でもある——だとは思う。
 というか、そうでないとチリカが生きているはずがない。
 ドアを開けて、靴を脱ぎ棄て、適当に寝支度をしながら、落とし物一つを探すためにそんなことをしてしまうチリカにひたすら驚いていた。
 執着するような人間に見えなかった。ナム副隊長という、同棲までしていた人間にあの調子だった。
 今日の帰りのあのチリカは違った。
 何かに怯え、何かに縋る。
 誰にでもあるそういうところを隠しながら生きている人間に見えた。初めてのことだ。
 ベッドに横たわりながら、縛った髪の毛のふわりとした感触、久しぶりに近くに見た女の首筋、あの甘い香りを思い出さないようにするのは少しの忍耐を要した。
 それも少しで、泥のような眠りが訪れるのはすぐだった。

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