港のレストランへようこそ 11

 その日の夜の見回りも、昼間と何も変わらなかった。
 海面は静か。海の中も魚が泳いでいる以外、危険な生き物は居そうにない。
 海面から上がると、
「異常なし」
 ルースとペジェ伍長は岸に立ち、胸をなでおろしていた。ルースは、
「何とか二日後には、漁師の親父らにいい報告できますかねぇ」
「さあ、どうだろうな。こういうのは期待しないでいたほうがいい」
 ナム副隊長は頷いた。
 昼間詰所に戻った後、ランドルにはひとまずペンダントのことは秘密にし、他の見回りの様子をラ報告。
「そりゃそうだ」
 ランドルのため息の様子、漁師のピリピリ具合は予想していたらしい。
 言わなかったペンダントがあたる鎖骨周りは、今も気にしているからか疼くような気がした。
—————兎に角チリカに会って話を聞かないと。
 でもチリカは今いない。次いつここに来るのかもわからない。
 俺的に早いとこ片付けたいのは魔物が出るかどうかより寧ろコッチの話なのだが。
 自分の身なりを整えた後、そんな考えを他に悟られないよう、ナム副隊長の後ろ頭越しに明かりをつけて片付けているその手元を眺めた。
 ナム副隊長は眺められていることに気が付いたらしい。
「どうしました?」
「いや、何かな、と」
 そのまま座るでも近寄るでもなく、こまごまとした道具の水気を拭きとり、粉のようなものをかけて袋にしまっていったり、海水を入れた容器を箱にしまったりする様子を観察する。
 ナム副隊長の方が揺れだし、
「ふふっ」
「どうかしましたか?」
 今度は俺が聞く番だ。
「いえね、昔同居していた女性がね。
 偶に僕が帰宅した時に今のダン曹長とほとんど同じことをしてきたのを思い出しまして」
 言いながら立ち上がったナム副隊長は悲しげな笑みを浮かべた。
—————俺とチリカを重ねるんじゃねぇよ。
 虫唾が走るとはこのことだ。
「そうですか」
 引きつった口元がそのまま口調に出ていなければいいが。
「じゃあ、今日はこれで解散ということで」
 流れ解散し、各々自宅に戻る。
 長屋の様になっている軍詰所の寮に戻っていくルース、宿泊している宿屋に戻っていくペジェ伍長とナム副隊長。
 俺はといえば、集合住宅というと聞こえがいい長屋。
 真夜中にウロチョロしても何も言われなさそうな住まいは案外と少ない。
 住まいに何の執着もないので、住めるという点と両隣に古株の地元民が住んでいるところで選択。
 軍の寮を出るときに決めてもう何年になるっけ。
 趣味という趣味もなく、物のない殺風景な部屋。
 晩酌用の酒とつまみだけは切らしたことがないが、食事については同じものを毎日食べている感じ。
 今日は夜の見回り前に夕食は済ませてきており、このまま服だけ着替えて寝ることにした。
 仰向けになってベッドに横になる。
 小説なんかだとこういう夜に誰かが襲撃に来たりするんだろうが、あいにくそういうことにはならない。
 酒場で飲んだときに突っかかってきて、言いかえした相手が夜道で襲ってきたり、家の前で待ち伏せしていたことは何度かあった。
 全員、しばらくしたら静かになった。
 そういうのが面倒で、酒場には誘われない限り行かなくなって久しい。
 だからこそ、あの日あの夜、チリカに品定めされたのはよく覚えていた。
—————なんでこんなに急にチリカが頭ん中に出てくるんだ。

***********************************

 結局三日間、魔物の姿は見られなかったし、その痕跡もなかった。
「採取した海水も、この町から立ち入れる複数個所に及びますが、いずれも魔力波動はありませんでした。
 魔物の痕跡らしき体液の混ざりもないです」
「じゃあ、漁は」
「今晩から早速の解禁ですね」
「ええ、一応監視は付けましょう」
「ルース、ドネア爺んとこ行って伝えてこい」
「うっす」
 部屋を出ていくルース。
「今日の夜と明日の朝、漁の時間に何もなければ、これで落着ですね」
「そうですね」
 ひとまずの安堵感が小部屋一杯に広がる。
 そのまま流れでもろもろの予定が決まっていき、ペジェ伍長とナム副隊長が帰るのは明後日の午前中となった。
「うまく行ったら、明日の夜は飲みにでも行きますか」
「いいんですか? ありがとうございます」
 ランドルの発案に内心めんどくせぇと思いながら、大人の顔を見せる。
—————こういう付き合いの酒は大嫌いだ。
 しかも、どうせ店のチョイスが決まっていて、そのなかの1件があの店なのも嫌だった。
 店の手配はシモンズに任せることにする。
 もう全員大丈夫な空気感で和気あいあいとした様子になっている。
 ルースが戻ってきたら、『気を引きしめろ』と形だけは言っておく必要がありそうだ。
 丁度昼の休憩時間。
 外に出ると、もう港は漁師の野郎どもがちらほら船の点検に出てきていた。
「早えぇだろ」
 というか、点検だけは毎日やりに来ているのを知っていた。そのうえで今日上乗せ点検に来る辺り、完全に気が急いている。そのせいで事故らなきゃいいが。
 後ろに来ていたペジェ伍長とナム副隊長に加え、ランドルも様子を見て笑っているので、皆同じことを考えたのだろう。
 各々が昼飯に向かう。俺はもう面倒で、この前のサンドイッチ屋でまた同じものを買い、手持ちの水で流し込んだ。
 詰所で少し寝たい。
 連日夜中仕事で流石に寝不足になっていた。
 夜に脳裡にふわふわと浮かんでくるチリカの姿も悪影響。
 眠れなかった。
 ネックレスの呪いかと思ったが、どう考えてもただの睡眠不足。頭痛もそのせいだろう。
 寝たら直る。
 自席で突っ伏してうすぼんやり眠ると、頭痛は多少マシになった。
 書類が涎まみれになることもなく目を覚ませたのもよかった。
 ここの詰所に来た時に、その様子を見て俺を百叩きにした先輩方はもういない。
 どこかに派遣されたか、引退したか。
 いずれにせよ俺が見たのはこの駐屯地から去る後ろ姿だけだった。
 自分はそうなることは二度とないだろうと思いながら、羨ましいとも憐れみたいともつかない気持ちになったのも今は昔。
 もうここ2年は若い兵が異動になるのを送り出すのが、自分の中で季節の風物詩の様になっていた。
 虚無感。
 こんなにもチリカのことが引っかかるようになったのはそのせいかもしれない。
 平和になったこの街で魔物が出たことがこんなに話題になるのと似たような感じで、俺の人生にいきなり降ってわいた非日常。
 そのせいだと思う。
 そうだ。
 だからペンダントが気になり、ナム副隊長に譲る気にならなかったのもそのせいだろう。
 その日の夜の漁は穏やかで。
 その翌日の朝の量も穏やかで。
—————今日の夜の飲み会だけ乗り切れば、明日から三連休で寝貯めできる。
 そう思って気合を入れていた飲み会の会場が案の定あの店で、チリカが来ていようとは思っていなかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です