港のレストランへようこそ 10

「ダメです」
 『何故ですか』にしようかと迷ったが、素直になることにした。
 その言葉を聞いたナム副隊長は驚いて、
「何故ですか」
 俺が言おうか迷ったセリフは副隊長の震える口元から飛び出した。
「なんとなく気に入ってるんです。いけませんか?」
 なるべく平静に。
 ナム副隊長は拳を握りしめていた。
 その様子を見て考える。
—————これ、チリカが持ってたんじゃないか?
 だとするとナム副隊長の焦り具合の辻褄が合う。
—————なら猶更、絶対やらねぇから。
 チリカと暫く付き合っていたのだとして。
 ナム副隊長が復縁したがっているのだとして。
 しかもこの落とし物がチリカのものだったとして。
 そういう狙いのある男がやることは良いことばかりではない。
 相手の大事にしているものを手に入れたら、足元を見て関係を迫ったりするかもしれない。
 今のナム副隊長に渡すわけにはいかなかった。
 男女間のこと。何があったかは分からない。
 ただ、チリカが自分の手を振り払おうとする男の足元に縋る姿は想像できず。
 相談の上で別れることにしたのか、チリカのほうから一方的に縁を切ったか。
「そうですか」
 今の俺に意地の悪い心がないかといえば全否定もできない状況の中、呟いたナム副隊長は何か考えている。
 会議室のドア前で、執務エリア内の声が漏れてくるが、ざわざわとした雑音以外の何物でもない。
 丁度いい防音効果をもたらしていた。
「では、仕方ないですね」
 いやに冷静な表情だ。
「じゃあ、夜の段取りの話を少し。ペジェ伍長もついでに呼んできます」
 部屋を出て、ペジェ伍長を呼ぶ。
「一つ目の要件は済んだ」
「承知しました。では、夜の段取りですね」
 ここで『何の要件だったんですか?』と聞かない辺りが、ルースと違う軍歴の長さだ。
 藪蛇をつつくととんでもないことがある。
 例えば、同行している上役の過去の恋人の話とか。
 その後は夜中の見回りと役割り分担というごくごく事務的な会話に終始した。
 終わったのはまた昼休憩終わり掛けぎりぎり。
 ランチのある店はもう全て締まっていた。
 唯一残っていたサンドイッチ店の残り物にありつく。
 港の日陰に適当に座って食事をとりながら、猫におこぼれを奪われないようにガードした。
 ノミだらけの体をこすりつけられたら堪らないが、この虎猫にはそういう趣味はないらしい。
 静かに俺を睨みながら座して待っている。
—————あの女の何がいいんだ。
 ナム副隊長が付き合っていたのは『若いころ』。チリカも何か今と違っていたのかもしれない。
 男漁りも浮気もせずに、一途に一緒に住んでいる男といちゃつくカワイイ女子だったのかもしれない。
 残念ながら俺には情景は字面から浮かび上がらず。それはもはやチリカではなかった。
 俺が知っているチリカは。
 いつどこにいるのかもよくわからず、ふらりふらりとやってきては旨い飯を提供すると同時に、肉体をも振りまいて男と男を渡り歩き、恍惚とした表情のそいつらを靴のかかとで踏み抜かんばかりに値踏みしていなくなる女。そしてまたやってくる女。
—————本当に、皆、何がいいんだろう。
 チリカがこういう女だというのはありありと浮かぶ。
 一方で、じゃあ俺が思う『イイ女』は? というと、全く浮かばなかった。
 大昔、この場所に派遣される前は首都で従軍していた。そのころに付き合ったり一緒に住んだりした女は何人かいたのだ。
 が、めんどくさかった記憶が大半を占める。
 誕生日やらなにやらのイベント。わずかな休みの過ごし方。家に帰ったら帰ったで。
 向こうは『仕事と私とどっちが大事なの』とか、『私ってあなたの何なの』とか言っていた気がする。
 首都からこの町に派遣になる直前に付き合っていた女なんて、派遣が決まったことを伝えた瞬間に別れ話。
 俺は皆好きだったし、可愛いなと思っていたし、出来るだけ大事にもしていたつもりだった。
 でも結局向こうから離れて行った。『出来るだけ』が少なすぎたのだろう。
 そんなもんだ。俺の出来るだけが少なすぎる。
 だから俺自身別れ話で心が痛んだかと言えば、NO。
 『そうか』としか思わなかったし、今思い出してもそうだ。それでよかったと思っている。
 相手もどこかのタイミングでそういう俺に気が付いていった。お互い、利害関係の一致で付き合っていただけだったことも多かった。
 あのまま首都にいたら、もしかして結婚していた可能性があった相手でさえだ。
 でもその先に舞台やら小説やら噂話やらで聞くようなメロドラマかその親戚みたいな幸せいっぱいの結婚生活が待っていたとは到底思えず。
 多分、惰性のまま生きていただろう。今もそうかもしれないが。
 なんにせよ色々あってここでの暮らしに行き着いた。
 周りは『色々』の部分について詮索したりアレコレ邪推したりすることがある。
 そういう周囲の見え方とは裏腹に、俺自身は心から、あの頃のまっすぐ先にある延長線上の人生よりも、思い切り曲がった今のほうが良いと思っていた。
 へそ曲がりには曲がった人生が向いているということだろう。
 ただ、そのへそ曲がりの前に、今日思ってもいなかった話が出てきた。
——————このネックレスを落としたのがチリカかもしれない。
 ナム副隊長が若い時からずっとチリカが手放さずに持っていたのならそういうことになる。
 しかも、これはあの石のすぐそばに落ちていた。
 ますますチリカが魔物を呼び出した可能性が出てしまう。
 だったらこのネックレスを証拠品として提示すればいいのだが、黙って持ってきた手前やりずらい。
 しかもこれはとんでもない魔道具で、俺にだけ本当の姿が見えている。
 となると、下手したら俺も共犯扱されかねない。
 一地方の街のちょっとした出来事を、国中が大騒ぎになる騒動にするのは嫌だった。
—————俺の今の暮らしを守りたい。
 が、黙っているのも危険。隠蔽ととられかねない。
—————喋るなら今のうちで、ランドルにだけ喋る、か。
 とりあえず、チリカにこれを見せて、情報を引き出すのがいいだろう。
 ランドルにしゃべって大ごとにした後だと、チリカが逃げる可能性が高い。ランドルの顔色など、あの女はお見通しだ。
 俺の個人的な話にし、様子を伺い、出来れば報告書と始末書を上げずに済ませたい。
 あんな碌でもない女なのに、流石に魔物の召喚はしていないだろうと、勝手に思っていた。
 歩きながらこんなことを徒然考え、詰所に戻る。
 訓練に参加し、街の入り口付近を見まわる。
 常時歩兵を立てるほどの街ではない。貿易港ではないから。
 どちらかというと夜の密漁のほうが問題で、夜中の見回りは定期的にやっていた。
 戦後間もなくと比べると、ほとんどなくなった。
 だからこそ、軍曹から曹長になり、同じ駐屯地に曹長が二人できる指揮系統がおかしくなりかねない昇格が形だけ成されたりする。
 俺がそれだ。
 でも、結局やっていることは軍曹のまま。流石にこの後はもうずっとこの位のままだろう。
 寧ろこれまでよく降格しなかったぐらい。
 横を一緒にくっついて、リストにチェックを入れていくシモンズの様子を見る。
「軍曹とか曹長って、見回りするんですね」
「普通は歩兵から伍長までだ。人がいねぇからな。今後他所に異動になっても、覚えておけよ。
 ここの常識は他所の非常識だ。逆のものもあるだろうがな」
 シモンズの呼応する様子をみてこちらも頷いた。
 だが、おかげでチャチなチンピラはいない。
 漁師どもが荒っぽいのもあるが。
 代わりに、飼い犬がいなくなったのを探しに出たりと平和過ぎる雑用がそれなりにあったりする。
 今日の午後のカザミ軍曹ご一行はまさにそれ。
 ここに来る途中にすれ違ったが、ひっかき傷と歯型まみれになりながら、手芸屋の看板犬ベスを抱えて三人して歩いている様は圧巻だった。
 この平和な日々が、この先もいつまでも続くといい。
 だからこそ、魔物騒ぎを少しでも早く納めたい。
 腕力ではどうにもならず、ナム副隊長に頼らざるを得ないが、早く片付いてくれないか。
 これが、漁師連中から何度も睨みつけられながら詰所への道を歩いている間に考えたことだった。
 

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