ドラッグストアへようこそ 71

 翌朝部屋を見た時も、フォニーは昨日と同じように思った。
—————ここにはベータがいない。
 今度は落ち着いていた。
 部屋を片付ける。いらないものを街の中古品の店に置いていく。
 戻る場所を作る気もなかった。元々あってもなくてもいいものばかりの、その日暮らしだから。
 前に行った時は1つだけだった鞄。
 今はリュックと斜めがけの二つ。
 魔界から出るあの門の、街に向かう。ゆっくりと空を眺めた。
 だからって何があるわけではない。蝙蝠の群れが飛び去っていく。
 街につくと、あの日宴会で料理を振舞っていた豚らしき魔族が見えた。
 きっとこれからもここで暮らしていくのだろう。
 また来る機会はある。というか、魔力が切れなければいつでも来れる。
 分かっていながら、街の魔族や魔物の行きかう様を見ると懐かしい気持ち・去りがたい想いがこみ上げた。
 あの服を買いに行った仕立て屋。疲れて休みに入ったあのゲーセン。情報交換に行ったあの居酒屋。
 昔住んでいた町のことも思い出し、ぐるりとこの街を見渡した。
 でも、そのたびにベータがもしここに居たらという夢想にとらわれていく。
 実際のところ、魔王の息子。魔界に来るのだって顔パス? いや、魔族に狙われると危ないし、そんなのはないだろう。
 将来は?
 分からない。フォニーの将来も、ベータの将来も、何もかも。
 自らの歩みとともに逡巡して、すぐ着くはずの魔界の門にたどり着くのに丸1日かけた。
 魔界の夜。向こうではサバトの相談をしているようだった。
 紫や緑の怪しい光を放つ該当と星々。めくるめくタバコ屋の煙が辺りを行きかう者たちを取り巻き、虜にしていく。
 魔界の門は日中以上の人だかりになっていた。
 だから避けていたのに、今はその在り様を目の当たりにしているという事実が感傷的にさせてくれる。
—————何がどうなるかなんて、分からないもんね。
 魔界の門の行列に並ぶ。
 あと何巡目かでフォニーの番。
 末端の魔族たちは今日も食いっぱぐれないように必死なようだ。
 親分に取り入るもの。ボロボロになりながら体を引きずるもの。我関せずで、手元の何かを必死で漁っているもの。
 フォニーもその一人だ。
 その一人として、人間界で身を埋めるのもありだろう。
 順番が来て、門が開く。
 うごめく焔のような薄ら黒い通路のなかをくぐる。
 これをフォニーが一生のうちに経験するのはあと何回ぐらいか。
—————てか、その前に、ベータはアタシを家に上げてくれんのかしら??
 大丈夫だろうという確信が、実は勝手なものだったのではないか。
 魔界の門を抜けて森の果てのほうに行き着いたフォニーは、街にいた時のエモい気持ちなどどこへやら。
—————いけんでしょ。あんだけアタシに惚れぬいてるっぽかったし。
—————いや、だからこそ、よ。いっぺんNO! って出て行った後は、ドアくぐれないんじゃね??
 自分の考えが浅かったか。
—————そういや、着の身着のまま出てきちゃったな。
 思い付きだが、川で体を洗うことにした。
 夜中で、丁度いい。
 体を洗って拭いて、服を着なおしたら、ちょっと気になった。
—————これ、男引っかかるかな?
 今のフォニーは男をひっかけることが出来るのだろうか。
 その辺の男が引っかからないような女を、ベータは家に上げるのか? それに、
—————いきなり行ったら無意識にアタシが精力吸い取っちゃったりしてベータが危ないかも。
 今の枯渇状態でいきなり凸して、もしベータが以前と違って多少なりともフォニーに対して性欲が沸いていたりしたら、フォニーは無意識に精力を吸ってしまう。
 吸い過ぎて人間が死んでしまったことは、サキュバスの誰もが一度経験する失敗で、フォニーも1~2回やらかしていた。
 フォニーの平時のメンタリティなら、多分何も考えずに薬屋に突っ込んだことだろう。今は人生の異常事態。
 平静を取り戻すためにも、一旦先日宿にしていた森の中のとある木の股に荷物を置き、街に出た。
 普段ならもっと吟味するのだが、今回はもう1件目のホテルの窓からのぞいて、眠りこけている適当な男の頭の中に突っ込むことにした。
—————男と同棲しようとしてんのに、ね。
 ベータは絶対嫌がる。でも今の体力を考えると明らかに栄養ドリンクだけだと足りない。
 ベータをいつかうっかり精力の取り過ぎで殺してしまわないようにするためにも、精力が必要だ。
 少しだけ思い出したが、前にベータに横抱きにされて寝入っていた時、ベータの調子は悪そうだった。
 もしかして、ベータから精力が出ていて、フォニーが寝ながら吸い取ってしまっていたのかもしれない。
 調子が悪かったところ、さらに調子が悪くなったという悪循環。
 そうはならないように意を決し、目の前のボロボロの作業着で横たわる男の夢に忍び込んだ。
 男は夢の中で、何かを買っていた。
「こりゃ、効くやつですぜ」
「らしいですね」
 街の裏通りの間口、絵にかいたような魔法使いの怪しい婆から小さな瓶を受け取っていた。
 そのまま場面が展開し、明るい大通り。
 パン屋のようだ。店先に若い女が立っている。
「いつも頑張ってるね」
「え? そんなことないですよ? こちらこそいつもありがとうございます」
 女のほうは気があるのかないのか。
「よかったら、コレ」
 小瓶を渡す男。
「飲むと、いいよ」
「え?」
「少しだけ元気になるから」
—————媚薬かな? 最低野郎だなぁ。
 フォニーは男にいきなりの悪感情を持ったが、だとすると獲物にはちょうどいい。
 ごくごくと飲み干す。
 あーあ、と夢の中の出来事なのに残念な気持ちになったフォニーだが、
「あ、あの…」
 パン屋の女は男を見た。
「いままで、気づかなかった。わたし、わたし…」
「どうしたんだい?」
 白々しい男の相槌。
「わたし、お客さんのこと好きみたい!」
 惚れ薬だったらしい。苦々しい気持ちで状況を見守っていると、舞台は急展開し、結婚式場となった。
「僕も、君のこと!」
「わたしも!」
 でも、言葉とは裏腹に、男からは性欲や悦びは伝わってこない。どこか悲しそうだった。
 前だったら浮かばれない馬鹿男として一方的にこの男を蔑んでいたかもしれないが、今は少し気持ちが分かる。
 結婚式になり、式が終わると、
「あ、あれ? わたし、何やって…ええ! あなた、何? え? マジ、キモイし」
 花嫁姿のまま猛ダッシュで女は逃げていく。
「え、ちょっと! まって、まってよ!」
「惚れ薬とか最低!」
 うなだれる男。丁度いい展開。フォニーはスンとお仕事モードになった。
「ここに、アタシいるから。アタシにしよ!」
 突然横に現れて男の前で服を少しずつ脱ぎだしたフォニーに、男はむしゃぶりついた。

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