—————明るい。
前は光の先にさらなる闇があった。でも今は。
—————『HOREKUSURI』。なんで!??
夢の中のはずなのに、今さっき見てきた薬屋の店構えが完全再現。
前回は行きの通路よりも真っ暗な暗闇にベータが突っ立っているだけだった。
触っても触っても無反応で、人形を相手にしていた方がまだマシだと思えるような拷問の時間だったのはよぉ~く覚えている。
フォニーの持っているテクニックを全て出したというのに、『それで?』的な顔だった夢の中のベータ。
あの逆奇跡の前回がたまたまおかしかっただけなのか?
いや、どっちかというとベータの普段の様相とマッチしているのは前回の暗闇のほうだ。
青空に雲が流れ、風も爽やか。人の気配は辺りには…なさそう。
現実世界とそこらへんが一緒なのは、ベータの気質がドリームなど見れないほうだからか。
夢の中に入ってすぐで、ここまで困惑したのは初めて。思春期の若者でもこんなギャップはない。
この夢の中のベータはどんな感じなのだろう。
状況からみて、家の中にいるのは間違いなさそうだが。
初めて店に立ち寄り、そのままマンドラゴラ一〇〇の瓶を割り、捕らえられた日と同じことが発生するのも念頭に置く必要があるだろう。
焦っているとミスをするものだ。
フォニーは深く息を吸って、強く吐き切り、を数回繰り返した。
心は落ち着いたものの困惑は消えない。
—————行くか。
意を決してゆっくりと足を前へと進める。開け放たれたドアの中へ。
ドアの向こう、店内へと向かう。ドアの下のほうの血しぶきはない。現実世界ではべったり染みついていたから、おそらくベータが存在に気づいていないのだろう。
一歩。カウンターには誰もいない。でも、家の奥の方から笑い声が聞こえる。
聞いたことがあるような、無いような、女の声だ。
—————お母さんかな?
一緒に住んでいたらしいから、そうかもしれない。
ゆっくりと近づく。階段が見え始め、向こうに台所が見える。
ベータが立っているのが見える。
白いシャツにズボン。
宴会の日に魔王が来ていたのとよく似た服だ。
ローブに隠れた薄っぺらな体がスラリとして見える。
—————普段からこうしてたらいいのに。
ぼおっとベータがゴリゴリと何かを乳鉢ですりつぶしているのが分かる。
アイウェアはそのまま。でも、口元が笑顔。
—————あんなの、見たことない。
いつも土気色で、仏頂面で、不機嫌そう。機嫌がいい時は嫌に饒舌で、ネクラが透けて見える。
それがベータのはず。
お母さんがいるとそんなに違うのか? いや、そんなマザコンには見えなかったが。
ガタン、とダイニングテーブルのほうで音がして、
「どうした?」
ベータが後ろを振りむいた。
ダイニングのほうにいる誰かを見ている。
「う~ん、なんでもない」
女の声。ふふっと笑って、ベータはまた手元に視線を戻した。
羽の音が聞こえる。
女はベータの後ろからベータに近づいていた。
—————アタシじゃん!
見慣れすぎ・聞きなれすぎた自分の羽音を立て、ベータの夢の中のフォニーはベータの背後に忍び寄っている。
ベータは近づいている夢の中のフォニーに気づいているのか、その笑みを深めた。
—————アタシ、何を見てるの?
フォニーは薬屋の店から家の中に立ち入ることが出来なかった。衝撃が過ぎて体が動かない。
夢の中のフォニーは、ベータの両肩からベータに腕を回している。
「邪魔だ」
といいつつベータはフォニーの腕を払いはしない。
「うん。知ってる」
ベータの背中にそのまま体を押し当てた夢フォニーは、顔をベータの横に。
何か耳元でささやくと、ベータは乳鉢から手を放してフォニーの腕を片方掴んだ。
外そうとしているようだが、後ろの夢フォニーは、
「やだー」
「仕事だから」
「いいじゃん、ケチ」
そのまま夢フォニーは腕を上げ、ベータの眼鏡を固定している後頭部の紐を外しだした。
「それはだめだ!」
フォニーの手をさっきよりは多少本格的に止めようとしたが、
「いいじゃん、だって、」
「だってじゃないだろう、その眼鏡は、」
「だって、夢だから」
ピタリと、今のフォニーと同じように、ベータが動きを止めた。
「夢の中でぐらい、いいじゃない。好きにすれば」
ベータは黙っている。
「『行かないでくれ』なんて、魔王の息子っちゅー権力者ポジションからじゃ、言えなかったでしょ。
強制力、強すぎだもんね」
夢フォニーは、おそらく、現実ではベータが思っていたことを代弁しているのだろう。
「だから、いいのよ。ここは夢。だから、好きにすればいいのっ」
夢フォニーが再び体を寄せようとする時、ベータはその腕を取り、振り返り、フォニーを思い切りきつく抱きしめた。
「っちょっと!」
両足をバタつかせて身じろぎする夢フォニー。
「ずっとここにいたらいいっ」
そのまま眼鏡を外し、フォニーを引き離し、斜め上にあるフォニーの後頭部に手を当てて引き寄せ。
ついばむようなキスの間に、とぎれとぎれに聞こえてくる。
「皆居なくなる」
「母さんも」
「仲間も」
「離れていく。距離を持つ。仕方ないことだ。でも」
真っ赤なビー玉のような目が、ほほ笑む夢フォニーを見上げている。
「好きなんだ。居てくれるだけでいいから。行かないで。お願いだ」
「いつから好きだった? どおいうとこが好きなの?」
「いつ?? どうって…」
夢の中でさえ口ごもる。そういうヤツだ。夢フォニーはそんなベータを見下ろして穏やかに、
「しょーがないわねぇー」
ベータの頭を撫でまわして、抱きしめた。
「じゃ、ずぅっと一緒にいてあげるっ」
ベータが夢フォニーを抱き返した後どうなったか、フォニー自身は知らない。
何故ならそのまま踵を返し、店を出るのと同時にベータの夢から抜け出したから。
夢から出てそのまま、ベータの寝顔も見ずに店から抜け出す。
体中がおかしくなりそうで、ものすごく熱い。
特大のプレゼントをもらったような嬉しい気持ちと、夢フォニーに対して今まで他人に感じたことのない腹立たしさと怒りと嫌悪。
夜空に浮かぶ月を置いてけぼりにして、街の上を飛び、そのまま孤児院のあたりまで飛び。
何かに駆り立てられるように急いで森に。
急降下し、自分で作った木の上のねぐらに戻る。
木の股に腰かけて、呆然とした。顔が火照ってしょうがない。自分で自分がニヤけているとわかる。
—————なんで?? アタシ??? どういうこと????
そういうことだった。
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