ドラッグストアへようこそ 64

 とうとうその日になった。
 数日と思っていたのに過ぎるのは早い。
 その数日、毎晩男漁りに行った。成果はあったものの前ほどではない。元気は多少出たのだが。
 いったい前に行ったときのは何が奏功したのか。
 朝からベータはこの後の準備をしている。
 キースが来る前に、フォニーにかかっている魔法を解くためだ。
 フォニーが夜出かけている間も、せっせと何かしている様子だった。
 夜中にベータが活動するなんて初めて見た。完全に朝方だったのに。
 ただ、会話があったかといえば。
—————なんとなく、話しずらいのよね。
 というか元々話す必要などないのだ。
 ベータはフォニーの思っていることなど近くに寄ればその能力ですぐわかるわけで。
 フォニーがベータの思うところを知る必要は、ないわけで。
 ため息が出る。
 そんな状態で、食卓もお互いニアミスぐらいの時間になるよう、ずらすようになっていた。
 ベータが一方的にフォニーの気持ちを読み取って避けたわけではなく、フォニーがダイニングテーブル周辺にベータの姿を見つけて避けたこともあった。
 この後フォニーにかかっている魔法を解く間やその作業の直前直後はベータと顔を合わせる時間となる。
 気が重くてしょうがない中、魔界から着てきた服を着る。
 そういえば久しぶりにコレに袖を通す気がする。
 ベータが最初に持ってきた服が思いのほか多く、コーディネートに悩むことはあっても着るものに困ることはなかった。
 部屋の片づけは終わっている。
 それらの服は、シーツをはがしたベッドの上に畳んでおいてきた。
 掃除も済み。来た時よりも綺麗になっているぐらいだと思う。
 だから、もうやることがない。
 裏庭のベータの様子をときどきゴミ捨てをよそおって裏口から出たり、屋根の上に舞い上がって観察したり。
 もうそろそろ終わりそう。
 魔法陣は大きな角のような模様がせりだした円だった。
 この魔法をかけた時の痛みと、ベータのとんでもなく気持ち悪い顔面を思い出す。
 あの時は『気持ち悪っ!』だったけど、今思い出すと笑えてきた。
 あの時と比べると、今のベータは及第点に近しいレベルで清潔だった。
 それでもローブに薬草と何かの汁のシミがついていて、洗濯しても消えていない様子なのは変わらない。
 思い出していた時、袖口がカピカピになった服の袖を申し訳程度にまくり上げた状態でベータはやってきた。
 ベータは一瞬目を合わせ、目をそらし、仁王立ちになると、また目を合わせ、
「準備はいいか」
「うん」
 クルリと勢いよく踵を返して裏口へとUターンする背中のあとをトコトコ歩いてついていく。
 箒に乗ってしがみついていた背中と同じもののはずだが、ベータの歩みが速く、ぐんぐん小さくなる。
「ちょっと待って! アタシどこまで行けば」
「魔法陣の真ん中まで進め!」
 振り返りもせず声だけが大きく返ってくる。
 だからフォニーは相槌を打たず、黙って中央まで来て、静かに立った。
 フォニーの全方位に円が広がる。
 最初に魔法を付けた時よりもだいぶ円が大きく、魔法陣の外に立つベータと話すには叫ばないといけない距離。
 円の縁に到達したと見えるベータは、すぐさままた、踵を返してフォニーのほうを向いた。
 おそらくフォニーを見ているのだろう。
「はじめるぞ!」
 すぐに声がかかった。
 ピンク色の靄が掛かり始める。
 フォニーは身構えた。
 最初に魔法を付けた時のあの激痛。圧迫感と轟音。汗だくになった後の絶望感。
 歯を食いしばり、身をこわばらせた。が、
—————あ、あれ? なんにもない?
 ピンク色の靄がショッキングピンクに変わり、強い魔力の放出だけは肌を撫でるように伝わるのだが、それ以上は特に何もない。
 靄の外が見えないので、ベータがどうなっているのか全く分からない。
 しばらくゆっくりと靄に掻きまわされるように撫でられると、ふわぁりとフォニーの足元が宙に浮いた。
 その瞬間だけ恐怖でゾクリとするが、その後ゆっくりと降下。
 靄は緑色に変わっていき、静かに透明になり、魔法陣は消えた。
 向こうのほうにかがみこんでいるベータが見える。
—————肩、上下させてんじゃん。何?
 前回はそんなことなかったのに、なんでそんな?
 そのまま一直線に羽ばたいていくと、ベータは前回と同様に汗だくだったが、眼鏡をはずして目元をぬぐっていた。
 顔色も悪い。
「水持ってくる」
 背後から何か声がした気がするが、兎に角水をもっていこうと文字通り飛んで台所へ。
 ついでに額を拭くために軽く濡らした布も持ってベータのところに戻ると、何とか立ち上がっていた。
 無言でフォニーが手に持っている布と水を受け取り、水を飲み干したあとその布で顔と首を拭く。
 普段髪の毛で見えないベータの首筋が見えると、そのあたりの『作り』というか見た感じが魔王と似ているのに気づいた。
 布とコップをもったままフォニーの顔を見て、
「今回痛みはどうだった?」
「全然ないけど? てかアンタは? 前のときそんな疲労困憊じゃなかったのに」
 それを聞くやいなやベータは安堵したように息をつくと、スタスタと歩いていく。
 ちょっとちょっと! と思うが、なんとなく言えない。
 遠くにいるベータは、フォニーのこの『なんとなく言えない』を察しているのだろうか。
 どのくらいの距離に入ると心が読めるのか、もう聞いた話がうろ覚えだ。
 今になって少しだけ、覚えてたらよかったかもしれないと思った。
 凄くそばに行けば、伝わるかもしれないが、言いたくないためにそれをするのは違う気がした。
 フォニーが裏口から家に戻ったとき、ベータは台所にいなかった。
 階段を上る音がするので、自分の部屋に戻ったのだろう。
 後はマルタンが来るのを待つだけ。
 最初にここに来た時の手荷物をまとめ、空いた椅子の上に鎮座させ。
 足をぶらぶらさせながら、外に出るのも部屋に戻るのもベータの顔を見るのも気乗りしない。
 森には昨日の晩行って、体を洗ってきた。
 何も来た時と変わらない静けさで、時々魔物が姿を見せるくらい。
 ここにきて割とすぐに体を洗いに行ったときを思い出した。
 手持無沙汰になり、体力がそんなに減っていないのに栄養ドリンクに手を掛ける。
 一気飲みすると、飲みなれた後味残るフレーバー。
 この泥水をエモく嗜む日が来ようとは、初めて飲み干した日のフォニーは思ってもいなかった。
 クレアさんには昨日の夜挨拶に行った。
『そう。またいつでも来てね』
 もしかしたら今度来るときは、ここの子たちの誰かが大人になっていて、フォニ―の餌にされる番かもしれませんよ、という不吉な挨拶はしないで、正直に、
『そんなこと言っていいんですか?』
『大丈夫』
 にこやかなクレアがフォニーに何を思ったのかは分からない。
 栄養ドリンクの瓶を洗う。
 あの棚にまだ数本、作り置きがある。こそっと2本、頂いていこう。
 鞄に忍ばせた。
 カレンダーを見ると、マルタンが先週来た日からバツ印がついていない。
 立ち上がって、今日の日にちまでバツを付け終わったとき、
 店のドアが開く音がした。
 

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