ドラッグストアへようこそ 56

 立ち上がった魔王ら。
「じゃあ、またね」
 美魔女達はさらりと挨拶を交わし、玄関に向かっていく。
 足元が多少ふらつくかと思いきや、しっかりとした足取り。
 マンドラゴラ一〇〇がなかったからだろうか。だとしたらフォニーの責任ではあるが。
 立ち上がれないのは一人だけ。
 フォニーは駆け寄った。
「大丈夫?」
「…んんん」
—————ベータ、どうしよ。
 見送りできないではないか。
 フォニーが何とか肩車をしようとするが、重たい。
 魔力を駆使しようにも、フォニーの体力だって似たり寄ったりでゼロに近く。
 ぐぬぬ。
 膝がスカートに似つかわしくないガニ股のまま、肩に担いだベータが持ちあがらない。
「いい、いいよ」
 魔王がこちらを見ながら、その手を左右に振っている。
 フォニーは肩の上に乗ったベータの頭を見た。
 頭はゆっくり持ち上がる。顔がようやく父親のほうを向くと、
「すみません」
「いいんだ。ありがとう」
 ガクリとさらにベータの全身から力が抜けた。
 フォニーはその重みを受け止め、ゆっくりと椅子に戻す。
 ベータ自身、意識はうっすらあるようだが、動けないくらい疲れ切っているよう。
 フォニーはベータに背を向けて店の入り口に向かう魔王を追った。
 もう兄弟はみな家路についているらしく、開いた玄関のドアの向こうにみえた裂け目に足をかけて消えていく。
 魔王だけは、玄関にいとどまり、店の中を見回していた。
 追いついてよかったと安堵した先に、魔王の視線がこちらを向いた。
「あ、あの」
 本日はありがとうございました、とフォニーが言うより先に、
「今日はありがとう」
「えっ」
「ベータに同居人がいるって聞いて、大丈夫かなって思ってたんだ。
 マンドラゴラ一〇〇の瓶を割って、その関係で居候で手伝いさせてるって話は聞いてたんだけど、でもね。
 親として心配で。どんな人かと。
 良かったよ。君みたいな人で」
 魔王は、まさにそのマンドラゴラ一〇〇の瓶を割ったカウンターの前に立ち尽くすフォニーに一歩近寄り、その肩に手を置いた。
「ベータのこと、よろしく」
 魔王を見上げ、「はい」という返事を口から出すことに成功したフォニー。
 それを見た魔王は手を離した。
「碌なのじゃなかったらその場で消そうと思ってたんだけどよかった」
 じゃあね~、と手を振りながら玄関、そして流れるように裂け目の中に消えていく魔王の姿を眺めながら呆然と立ち尽くすフォニー。
—————た、助かった…。
 玄関向こうにマルタンの姿が見えるのは、お開きを察したからだろうか。
 魔王が消え、マルタンがこちらを向いたタイミングで膝から力が抜けそうになるが、まだフォニーにはやることが残っている。
—————ベータは?
 駆け戻ると机に突っ伏していて。
 さらに近づき、顔を覗き込むと、
「少し頭を冷やしているだけだ」
 至近距離で目が合ったうえ、とんでもなく酒臭い息に鼻が曲がりそう。
「そう。ならよかったわ」
「栄養ドリンクの飲み過ぎか? とんでもなく息が臭いぞ」
「思ったより元気ね。ならちょっとしたら自分で立ち上がれるでしょ」
 心配したのがバカだった。
 机の上のもろもろを裏庭に持って出る。
 フォニーが皿をもって姿を現した瞬間、たまたまだが、マルタンが裏庭に向かって声を上げていた。
「閉会と、相成った!」
 怒声のような歓声が広がる。
 一部ではコックコートが宙を舞って。
「まだ早いぞ! 残りを片付けて撤退するのだ!」
 疲れから倒れ込むもの、タンカを持ち出す者、片付け出すもの、さぼりだして拳骨を食らうもの。
 逃げ出そうとするものを引き戻す姿。
—————終わったのに始まったみたいな。
 イベントが大きくなると撤収もイベントなのか。
 件の王宮魔法師も今は仕事をしているようだ。
 これから全員を移動させ、傀儡の魔法を解くのだろう。
 あの王宮魔法師、恐ろしいことにこの会場周りを見張っている百人以上の衛兵全員に魔法をかけて、場合によっては遠隔操作していたそうなのだ。
 そんな芸当をこなしながら、デミタスに古代魔法をかける余力を十分に残しているとは。
 デミタスがビビるのはわかった。
 魔界の住人を軽々しく扱えてしまうし実際そう扱っている辺り、ベータとは話が合うのではないだろうか。
 逆にフォニーはクソ真面目なデミタスと全くウマが合わなそうだが。
—————あれ、ここ、比較するとこじゃないのになんで?
 魔王からベータを宜しくお願いされてしまった手前、お世話係とししっかりせねばという気はあるのだが。
 再度部屋に戻ると、立ち上がろうとするベータの姿、膝が笑っている。小鹿のようだ。
 ジッと見つめる。
「おい、何を笑っているのだ」
「いや、だって、見たことないからそんなの」
 飲みすぎで膝に力が入らないなんて。足元がふらつくならわかるけど。
「魔界産直の新鮮な香辛料が効いているのだ。仕方あるまい」
 諦めて椅子にもたれかかってうなだれるベータ。
 水を差し出し、代わりに残りの皿を全て持ち出す。
 また戻ってくると、水の入ったグラスは空になっていた。
 机を拭き、箒を手に取ると、
「ちょっと待て。それは俺がやる」
「え? なによ。ダメなの? まあ確かにいつもは」
 止められている。色々な薬草やらなにやらが入っているからだ。
 ベータは立ち上がった。小鹿のような足取りが嘘のように見えたのは一瞬。
 膝から崩れ落ちそうになるのを何とか食い止め、立ち上がった。先ほど魔王の前で同じことをしたフォニー自身のようにも見える。
 そしてベータはフォニーから箒を受け取ると、真っ先にパンくずやら野菜やらが落ちているところを目掛けて箒を近づけた。
 箒の穂先は、椅子の後ろからまっすぐ、机の直下にあった穴へ。
「ちょちょちょ! 何やってんのよ!」
「ん? 掃除だが?」
 そう。まっすぐそのままベータの箒裁きは、魔界と直通している床下の穴へ向かって払いだされ。
 ゴミは魔界へと消えて行った。
「そこダストシュートじゃないでしょ?」
 通気口ではなかったか?
 改めてベータはわざわざ机をずらして穴を上からのぞき込んでいた。
 フォニーも改めて覗き込むと、火山が火を噴いている。
「下はソーマ火山。これ位なんてことはないだろう」
 魔界随一の山の名前で、フォニーは魔界にいたころに聞いた話を思い出した。
『年に一日だけ、わずかに何かが降り注ぐ日があるんだ。
 浴びると、すっげえ魔力回復するらしいぜ』
『私も聞きましたよ、その話。魔力が底上げされた者もいるとか』
『まじか! いつだ? その日』
—————もしかして、この床に落ちた野菜くずとかパンくずとか?
 魔王とその親族の滞在によって換気してもなお魔力たっぷりになった部屋にしばらくあったゴミ。
 それを有難そうに浴びる何も知らない魔族達を想像し、フォニーは苦々しい顔をするほかなかった。

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