「もうそろそろお開きの時間だから…」
デミタスは時間を正確に測っていた。
自分が逃げ出す算段を付けるため、時計と辺りを交互に見まわしている。
ベータは大丈夫だろうか。
魔界のトップのなかに混ざった人間。親子水入らずというより接待。疲れて当然。
魔王はどうだろう。ベータとの『親子水入らず』ごっこをどう思っているのだろう。
フォニーは少し疲れた体を自覚し、1本だけ栄養ドリンクを飲んだ。
しみわたる臭さで製造元のベータを思い出すと、ますます心配になる。
空き瓶を分けて勝手口周辺に置くと、酒瓶とは明らかに違う異臭に周りの魔族や衛兵が寄り付かなくなった。
傍にやってきたゴーゴルは、自身もその味に慣れたのか引いている様子がないのだが。
「デミタスが王宮魔法師の女に追いかけられてるんだけど」
「そーみたいね」
どうでもいい。だからベータの状況を見るため、渡されたつまみをもって速やかに屋内へ。
まだ何とか座っている、ように見える。
片肘をついているのでだいぶ疲れているのは分かるが、目線も前向き。
さっき入ったときと違うのは、他の面々も疲れてきているように見えること。
ベータが一番フォニーを凝視している。フォニーは手持ちの皿を置いて、空き瓶を下げた。
下げるものばかりで置くものがなくなってきている。やはり宴も酣。
勝手口を出ると、まだゴーゴルがいる。
「なにアンタ」
「え? いや…デミタスのやつ大丈夫かなと」
「知らな~い」
他人だ。
「王宮魔法師の実験台にされるかもしれない。
あのレベルの魔族になんかできるのが人間界にいるってなると…」
フォニーはどうでもよさと面倒くささとこれまでのいきさつがよぎり、にべもなく突き返した。
「まじで知らない。そんなこと。
弱いのはそいつが悪いんでしょ。その理屈でアタシ今こんな目に合ってんじゃない。
それにさ、そういうの一人二人…三人とか、いたところでさ。すぐさまなんかしてくるわけじゃないでしょうよ。
アンタらみたいな? 魔界の? 上目? てか、上層部です~ってのがいちいちガタガタ抜かすのが一番まずいんじゃないの? ほんと知らんけど」
やってきたマルタンは急にしゃしゃり出て、デミタスを睨みつけた後、さらにフォニーを睨み、
「そのとおりだが 、お前に言われる筋合いはない」
「そーですかぁー」
しらーっと皿だけ渡していく。
イラつきながら受け取ったマルタンとデミタス。
「もうさっき持ってった皿ともう一皿しか残ってないわ。
会話もあんま出てないかんじ」
「じゃあ後はタイミングだな。
お前、お開きの声掛け、仰せつかってるんだろう?」
そう。ベータから、『そろそろお休みになっては、と一言言え』と事前に指示されているのだ。
『そんなのなんでアタシなの? 魔界の重鎮様がいらっしゃるんでしょ?』
『中にいるのは全員酔っ払いだ。外にいるのは体力馬鹿メイン。
万一の時を考え、魔界の中枢にとばっちりを出す分けにはいかん。
お前が適役なのだ』
くそったれ、と舌打ちで返したのを覚えている。
やはり死んでもいいとベータに思われていることを自覚した次第だが、不覚にも先ほどからそんなベータの様子を気にしていたフォニーは悶々とした。
「兎に角行きゃいいんでしょ。行きゃ」
おしぼりやらなにやら、締める時にいりそうなものを一式持ち込みながら、今日とくに何度も入った勝手口のドアを開くと、
「そんな馬鹿な!」
ええぇ~! みたいなどよめき。いきなり大盛り上がり。
—————これじゃ、締めれないかも。
「πはΦだ!」
一斉に皆がフォニーのほうを向いた。
「いや、そんなはずはない。空集合などということがあるはずが」
何を言っているのかさっぱりわからない。
「パイには、∞にして深淵な広がりがある。だからこそ! ロマンがあるのだろう」
バンッ! と美魔女が机をたたいた。目つきが変だ。
—————酔いと疲れでみんなおかしくなってる。
「無限? それは意見が違うわ。
でも、詰まってる! ロマンが詰まってるはずよ!」
だが、何がおかしいのか。
酔っぱらった目つきだけではない。なんだろう?
「違う。本当に空なのだ」
フォニーのほうを見ているのは間違いないが、見ているの場所ピンポイントな気がする。
「知ってるの?」
美魔女は少しだけ、ワクワクしたような顔になった。
「間接的にだが、分析した。なんの仕掛けもなかった」
美魔女が両手を顔の前に出し、ベータのほうに手のひらを向けてワキワキさせるジェスチャーをしていたが、ピタリと止めた。
「え? 分析? 何を?」
「お前、それはいかんぞ。お前が分析したのって、あの、その、コレだろ」
魔王があきれ顔でジェスチャーしながらベータを諫めている。目つきはやはり座っていて、酔っ払いであることに疑いの余地はない。
「順序ってものがあるからな」
「それは、以前話したマンドラゴラ一〇〇の経緯があったから」
「ああ、あの件か」
フォニーは必死でこらえた。もうなんとなく語られている主題の察しはついていた。
失礼に当たってしまうのでは、気分を害するようなことがあっては、というなけなしの理性であった。
「じゃあ、いまそこに詰まっているのは何?」
美魔女はしれっと疑問をそのまま口にしている。
「おお。あるじゃないか」
「どういう…?」
もう皆がどこを見て何の話をしているのかはわかっていた。
魔王は酔っぱらった目つきで無駄に緊迫感のある声色。ベータの顔を凝視している。
美魔女だけは、ピンと来たのかもしれない。ハッとして、ベータに。
「もしかして…」
ベータは神妙な顔でうなづいた。疲れ切った顔だった。
「技術力」
全員が一斉にフォニーの胸を凝視した。
ほぉ~!
感嘆の声が上がっている。
フォニーはこういうイベントがある、魔王とその家族が来ると効き、宴席のタイミングやらなにやら、外も中も気を使ってここまで、ここまで、ココマデ尽くしてきた。
しかしげんかいにたっした。プツリとなにかが切れる音がした。
「人の胸のサイズ酒の肴にしてグダグダ長酒してんじゃないわ!!!」
全員がぽかんと口を開いた状態で、フォニーの顔を見上げて、そのまま固まった。
フォニーはもういい加減にしろという気持ちだが、ベータの顔を横目で見た。疲れた顔をしている。
だから、畳みかけた。『もうこのままいったれ』という勢いそのままだった。
「皆さま! 本日のお席、これにて終了といたします! お疲れさまでした!」
全員、しばらく見つめていたが、魔王だけが急に優しげな顔になった。
「お疲れさまでしたぁ~!!」
魔王が一声する。そしてなぜか拍手。そのままご家族一同から拍手が沸き起こった。
「お疲れ」「おお」「終わり終わり~」
がやがやとまばらな拍手が散る中、ベータは一人、息をついていた。
フォニーはそれを見て、良かったと安堵し、同じように息をついた。
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