来客というのは主が留守の時ほど多いものなのか。
だから、じじい二人がやってきた二日後、やることを整理しつつ体を動かそうなどと、ちょっとばかり調子こいて裏で草むしりしだしたところに、裏口まで回り込んで人がやってきて、今鉢合わせしているということなのか。
「誰?」
冷静に草むしり士復職の様相のフォニーが立ち上がり、一声掛けると、相手はたじろいでいる。
—————もー昨日までのアタシじゃないわ。
フォニーはこの二日でとうとう悟ったのだ。
ビックリするのは疲れる。
この家で何か起きる度に『ビックリ!』を繰り返していたら身が持たない、と。
相手——人間の男——は、思いのほか早く落ち着いた。
「ベータ殿は不在か」
「ええ」
フォニーが手短に相槌を打ったのには、訳があった。
人間の男だからだ。
しかも、ただの人間の男ではなさそう。
第一に、若い。
第二に、農民を装ってボロを身にまとい、鍬を背負い、泥を多少擦り付けた顔だが、身のこなしが綺麗すぎる。二の腕の太さが太ももと見間違うほどの辺り、おそらく軍人。
第三に、魔力は多くなさそう。護符なども持っていないように見える。
つまり魔族フォニーから見れば、超無防備。
「貴殿は?」
フォニーは昨日とは違ってついつい笑みが浮かぶ口元を押さえきれないままに、
「フォニーよ」
「サキュバスだろう。なぜここに」
ということは、今日初めて来たわけではなく、今までもこの家に来たことがある。ベータともおそらく面識があるというわけで。
—————背景は昨日のじじいどもと同じ。じゃ、もしかすると目的も。
マンドラゴラ一〇〇絡みかもしれない。
そう思いながら、ゆっくりと男のほうににじり寄る。
「やっぱ、それ、聞きたい?」
ほんのりとだが、男から常時精力があふれ出ているのが遠目にもわかり。
フォニーは興奮が止まらなくなりそうなのを押さえた。
軍人の男の精力は別格で旨いのだ。
過去に一度だけありつけたことがあったが、一晩で全身が満たされ、魔力も二週間は余裕で持ったのをよく覚えている。
フォニーには目の前の男が客人ではなく極上の餌にしか見えなくなった。
男は仁王立ちしたまま。
羽も頭も見えているのだから、相手もフォニーが魔族であるとわかったうえで立ち止まっているわけで。
「なにを…」
「嫌ぁね、あなたのことも、ちょっと教えて欲しいだけよ」
間近に迫り、男の腕に手を掛けようとしたフォニーを、男は振り払った。
「貴殿が何者か、ベータ殿がいつ戻るのか伺いたい」
「いいけど、さ。話すことが二つに増えたから、教えるだけじゃなくって、ちょっと頂戴よ」
男は魔法使いではなさそうだ。剣の腕は立つかもしれないが、飛べるサキュバスはいくらでも逃げられた。
「な、なにを…」
「わかってんでしょ? あたしがサキュバスだって」
勝ち負けではない。これは、
「取引だから」
「卑怯な」
「魔族だも~ん」
「後でベータ殿に知れたら貴殿が困るのでは」
軍人の男は、フォニーとベータの間に上下関係があるのではと察していたようだった。だが、
「知れたっていいもん。だってベータはあたしがサキュバスだって知ってるわけだし。
食事がいるのも知ってるんだもの。文句とか注意とか、するはずないじゃない」
だからフォニーが出歩けるように術までかけているわけで。
フォニーのあっけらかんとした言い様に、軍人の男は目を剥いた。
「で? あなただぁれ?」
「貴殿が先だ」
軍人の男は食い下がった。
「そう。じゃあ、名前と前提だけ、先に話しておくわね。
私はフォニー。ちょっとここでやらかしちゃって、ベータに捕まえられてるところ」
「他は?」
「以上よ。ほら。今度あんたの番」
「情報、薄すぎないか?」
「一番大事なとこはアタシの姿見たらわかるでしょ?」
その通りなので男は黙った。
「…この国の国軍の伝令だ」
だから立ち去れないのか。ベータに何か伝えることがあって、ベータからも得るべき情報があって。
おかしなサキュバスがいたぐらいでは引き下がれないのだろう。
フォニーに好都合なばっかりじゃないか。
「名前は?」
「オニス」
「そぉ…ん」
わざと耳元に飛んで行ってささやくと、フッ、と男の強い息遣いとともに遺憾ともしがたく男の体から精力が立ち上ってくる。
「他は?」
「他?」
「何を聞きにきたの?」
「…言えない」
フォニーはこのセリフで、マンドラゴラ一〇〇絡みであることを確信していたが、精力の取れ高を増やすために、
「言わないと、」
そっと男の後ろに回り、両手で目を隠し、
「今すぐに頭の中に入ってしまうわよ」
強引に眠らせるだけの力は今のフォニーには残っていないが、脅しである。
屋外でサキュバスに出くわし、ついエロいこと考えてしまって精力を奪い取られてぶっ倒れるなどという真似はしたくないだろうし、そうなったらいくら屈強な軍人だろうが手も足も当然全く出ない。
わかっているのにもかかわらず、軍人は口が堅かった。
「いや…言えない」
歯を食いしばっており、精力の漏れ方が徐々に増えている。
フォニー程度のサキュバスの魔力に含まれる魅了の力がもろに効いている辺り、女日照りは間違いなかった。
—————ラッキーすぎんじゃないのアタシ!!
内心小躍りしながら、フォニーは男の胴体に両腕をするりと巻きつかせ、図星の一言を漏らした。
「マンドラゴラ一〇〇」
ビクリと男が震える。腕から伝わってくる震えには恐怖心と憤怒に精力が入り混じっており、わずかなのだがこれだけでも格別の味。
「…やっぱり、それ絡みなのね」
「何故っ、貴殿っ」
するりするりと土で汚れた男の頬をフォニーは手でぬぐいながら、
「内緒」
「くそ」
悪態が様になっている。予定外だったのだろう。魔族がいるのは。軍人から見ると天敵にあたるフォニーのようなのがいるのは、特に。
「もーちょっと貰えたら、いつ帰ってくるか教えるよ」
「ふっ…ふざけるな」
といいながら、先ほどはまだ残っていた両腕を振り払うだけの強い理性はもうサキュバスがもたらすだろう快楽の予兆に縛り付けられて動けなくなっている。
実際には、フォニーはこんなに覚醒している男の夢の中には入れないので、体から漏れるそれを全力で吸い取るのみ。大した量にはならないのだが。
それでも、栄養ドリンクとはくらべものにならないほど満たされる感覚。
「足りてないんでしょ?」
フォニー自身もだ。
くるりと男の前に羽ばたいて回り込んだフォニーは、まじまじと顔を見た。
割と持てるだろう、鼻筋が通ってバランスの取れた顔。ベータと比較するのは失礼なレベルの上玉。
こわばった全身に指を這わせながら、フォニーは、仁王立ちのまま動けなくなっている男の前にしゃがみこんでいく。
精力を吸いつくしながら、上目遣いで男の歯を食いしばる顔を見ると、悦びがこみ上げた。
脂汗が日の光を浴びている。
そしてそれすら少し引いて、男の顔色が多少青白くなって来たところで残りをじゅるりと啜りつくすと、男は片膝をついた。
「一周間くらいしたら帰ってくるわ。オニスって名前の国軍の伝令がマンドラゴラ一〇〇の件で来たってことは伝えとく」
男はフォニーを見上げながら睨みつける。
栄養ドリンクなど渡さなくても若いからすぐに快復するのが分かってるフォニーは、そのまま裏口から家に入り、中から鍵をかけた。
瞼の熱さは完全に引いていた。