『人が来たら居留守でかまわん』と聞いていたフォニーは息をひそめた。
「いないのか?」
—————おいおいベータの知り合いかよ、このタイミングで??
フォニーはしかし、言いつけを守ることにした。
だって知り合いだからっていい人とは限らない。借金取りかもしれない——想像のなかでは一番ありえそうなやつだ——。
「おーい!」
声が家の周りをぐるりと囲むように回ってきている。
窓からフォニーの姿が見えないよう、そっと足音を消して、部屋の隅の死角にしゃがみこんだフォニーは、その声がすぐ後ろになり、また次第に玄関に戻っていくのを耳にした。
「留守なのかぁ?」
—————しつこいなぁ。とっとと帰れ。
そう思い始めていた時、声にかぶさるように同じ方向から大きな羽音と爆発音、地響き。
直後から声も音もなくなって。
怖くて、でも気になって、寧ろ情報取りにいかないほうが危険なのではと思い至ったフォニーは、四つん這いでそろそろと店の入り口のすぐ手前まで這い出した。
「何しにここに」
「貴様こそ」
—————『きさま』とか言ってる…
状況が不穏すぎる。さっきあんな床下収納モドキを見つけたところ。あの穴狙いのよろしくない魔族とかだったらどうしよう。
「マンドラゴラ一〇〇の件だ。あいつはいないのか?」
「あいつとは失礼だぞ」
「私たちからしたらあいつだ」
「改めろ」
ごぅっと炎が燃え上がるような音と破裂音、人を殴るような音。
極めつけに再びの爆発音と、地響き。
——————やっば!
そのまま地面がグワンと大きく揺れる。当然この家もだ。
でも閉じられた棚の中の物は全く飛び出さない。例によって何かの魔法か。こんな地響きがしているのに家そのものは揺れるだけで破損なし。
しかし、その中のフォニーはどうすればいいのか。つんのめってしまいそうになる。
「ブッコロス!!」
「いや、貴様が死ね!!」
不穏なセリフが絵物語さながらに飛び交う中、ドアの下にしゃがみこんだフォニーには、マンドラゴラ一〇〇が引っかかっていた。
が、深掘りする余地もなく、ドゴォッと断続的な音がする。
地面、えぐれてるんじゃないか? 主が帰宅後に『なんじゃこりゃーーー!!??』ってなっちゃうやつじゃないか。
しばしこの時間が続いたところで、
「ぜぇ…ぜぇ…」
「はぁ…はぁ…」
こんな息遣いが聞こえるほどドアの近くに二人はやってきた。
ノックの音。
「…ベータ…様…お留守ですか…??」
この声、この前の魔界の使者だ。
じゃ、もう一人は?
「ぐっ…」
どさっという音がほぼ時を同じくして二つ、ともにドアの前で聞こえた。
ゼェハァいう息遣い。
「くそ…こんなところで…」
「お前…」
二人とも思いっ切り相打ち死亡フラグを立てている。
—————ナニコレ。
フォニーの悪い癖の一つは我慢ができないところにあった。ここに来たはじめのころこそベータの力が怖くて我慢していたが、もうどうにでもなればいい気持ちになって久しい。
だから、立ち上がり、ありえねぇから…という気持ちでドアを開けた。
「あんたらさぁ、ひとん家の前で勝手にケンカして勝手に死にかからないでよ!」
思い切り怒鳴りつける。
怒鳴りつけられた二人は二人とも、目を丸くし、あんぐりと口を開いてフォニーを見ていた。
正確にはフォニーの家ではないことを知っていたからかもしれない。
フォニーも二人を見た。だって、
—————まじか…リアル天使と悪魔…。
向かって左で尻もちをついている魔界の使者は、あの制服を着たおじいちゃん。細面で鼻筋が通っており、若かりし頃のイケメンぶりが察せられる面持ち。
戦闘で血みどろなのと、目と口を開きすぎているのに加え、人への変身がちょっと解けて、一部が馬っぽくなっているのが残念ポイントだ。
問題はもうひとり。向かって右のとっても白い顔のおじいちゃん。
白い服が血で汚れている。顔もだ。肘で何とか状態を起こしかかっているような状態。
背中からは真っ白で大きな翼。だれも見間違うことはないだろうレベルで天使。
つまり自宅前でミニ天魔大戦が開催されていたわけで。
フォニーは足元から顔を上げて辺りを見渡した。
そこここにでっかい穴ぼこがいくつも開いているし、向こうの木は燃えていてもくもくと煙を放っている。
地面は水浸しになっていたり、巨大な岩石が落ちていたり。
何が起きたんだよオイ、が普通は先なのだろうが、フォニーには誰が何をやったのかわかっていたので、
「これ、とっとと片付けなさいよ」
魔界の使者と天使は二人してフォニーが指さす先を見た。
「近所迷惑でしょ。人来たらどーすんのよ」
フォニーはここでようやく、自分がカッとなって命令口調になっていることと、このありさまを瞬時に修復するなんて芸当できるのか不明すぎるということに思い至る。
一方フォニーの言葉を受けて思案する様子だった二人のうち天使のほうが、店の前の状況に目を向けると、ため息をついて掌から何かを放った。
目の前で燃えていた木は水もかけていないのに鎮火し、青々と葉をつけていく。でかい岩は粉々になり、地面の穴ぼこを埋め、なんなら芝生も生えてきた。水浸しのところは普通に乾きだす。
辺りはものの数分で完全にいつもの薬屋前に戻っていて。
目を丸くして口をあんぐりあけるのがフォニーの番になってしまった。目を泳がせまいとしながら、
「で…できんじゃないの…」
上から目線のセリフを無理やりひねり出す。
天使って初めて見たけど、教科書通りだとこんなのできるのは神の側近ぐらいの。
魔界の使者のおじいちゃんはこの天使のおじいちゃんと競っていたわけだから、魔王の側近ぐらいの…。
フォニーは後ろ手でドアノブに手をかけ可能な限り速やかに屋内に入ったものの、魔界の使者立ち上がって閉じ切る直前にそのドアの隙間に足を挟み込んだ。
そしてそのまま崩れ落ちた。
その隙間に天使の皺がれた手が掛かり、ドアは開かれる。
が、その天使もそのままその場に崩れ落ちた。
さっきの再生が最後の力だったのか? 二人とも、息はあるか?
しゃがみこむと、虫の息。
─────…二人ともあたしっちゅー第三者が出てきたから、根性だしてまだイケる感醸したのか。
「ああー…もー…」
このまま店の前で行き倒れられたら寝ざめが悪いし、その後お亡くなりになったお二人の隠しようもないお体をどうしていいのかわからない。
フォニーはベータ様のお言葉を思い出した。
—————『そこの棚に、栄養ドリンクがある。クレアのところからこの石経由で連絡が来たら、あそこの人間用のを…』
主の留守を守る草むしり士は、『どうなっても知ーらないっ』というやけくそな気持ちそのままに、何番目かの店の棚の扉を開けた。