─────空気感が落ち着いたのは良かったけど、謎が増えていくなぁ…。
ベータが去るその日の朝食を片付けながらユンはぼんやり考えた。
建築場所の整備などは一通り済み、この後発注をかけて突貫工事をするらしい。
「もう一回現場と小屋に行ってきていいか?」
「うん、わかった。僕行けないから…ジー! ちょっといい?」
ダイニングの外で階段を駆け下りるジーの足音がする。
ベータはじーっとコーウィッヂを見つめていた。
「…なんだよ!」
「…頼むのはそこにいるのがわかっているユンではなく2階のどこにいるかわからないジーにしておくのだな、と思っただけだ」
くっくっと喉から音を漏らして肩を揺らすベータの姿がダイニングの入り口から見えた。
「ここ僕んちだし僕んとこの従業員だしどっちだっていいだろ」
その通りだが、昼間であれば治安も特に悪くないあのあたりの付き添いにユンが選ばれなかったことに、ユンは多少残念な気持ちになった。
「ああ、悪くはない…クッ…」
「今開いて音出してるその口ふさいで代わりに喉に一個穴開けてやろうか?
ベータならそこからでも息できるようになるかもしれないし、その減らず口も止まって助かる」
「…悪い」
「なら良し」
鳥肌モノの温度感の脅し以外は普通に友人の会話で。
そんな二人の声が調理場に戻るユンの背中から遠ざかっていく。
何にせよ明日以降、今度は豊穣祭の準備が本格化するはず。
同時進行で建築も進むわけで、ユンとしても食材やらある程度の業者への説明もしないといけなくなるかもしれない。
業者にしたって屋敷内には入れられない。とにかく忙しくなるだろう。
ユンとしては『やる』、それだけといえばそうなのだが。
ここに来てから初めてのまともな行事による忙しさがやってくると思うと、ワクワクと不安が練り上げられて変な高揚感になってくる。
昼頃ベータが戻ってきて昼食をとった後ついに出立の時となると、その高揚感はベータというユンにとっての初来客の帰宅に対する感慨に変わった。
タイミング的にも豊穣祭に向けた予行練習にはなったかもしれないし、気難しいところはほとんどない人だった。
また来るときは、その同居人さんと何か進展があるといいなぁと思いながら彼を送り出す玄関に向かう。
来た時同様黒いローブを羽織ると、改めて魔法使いらしくなった。
最後までユンはこの人が魔法を使うところを見ずじまいなのでローブの役割がわからず、『ただのコスプレなんじゃないか疑惑』が晴れないが。
「お前達、おとなしく暮らせよ」
見送りに来たコビ・シロヒゲ・みどりちゃんに一言すると、三人は同時に高く飛び跳ねた。
その時点で無理な要求だと分かったのだろう、ベータはため息をついた。
「滞在中ありがとう」
これはジーとユンに向かっての。
ユンは頭を下げた。
頭の上ではベータとコーウィッヂの挨拶が交わされ始める。
「…よかったな」
「うん、ほんとね」
「がんばれ」
「何もないよ」
きっとベータのこの励ましは、コーウィッヂの何かへの当てこすりなんだろう。
「っクッ…」
「喉に口増設計画、今実行して欲しい?」
コーウィッヂは脅しの声色だけは抜群に冷たくなるのだと思い知らされる一言のあと、
「いや、遠慮しておく。
ユンさん、今後ともジョットのところにいてやってください」
頭を上げる前に頭上から言われ、
「は、はいっ」
さらに深く頭を下げざるを得ない。これはお辞儀ではなく前屈なんじゃないかとユンは疑いたいくらいに折れ曲がっていた。
「あー、もう早く行けよ!!
待ってるんだろ!? 同居人の子!」
「ああ…そうだな、そうする」
ちょっとだけ、当てこすりをされているんだろうコーウィッヂの代わりに、
─────がんばってください、なんちゃって。
「…で、でででは、失礼するっ!」
伝わったのかわからないけれど、踵を返す音がする。
「元気で!」
コーウィッヂの心からの声色、遠ざかる足音、閉まる玄関の扉、鍵の音。
「…お疲れ様でしたぁ~!」
再びのコーウィッヂの明るい声に頭を上げると、おかしなことに声色と違ってあまり機嫌がよくなさそうなお顔が鎮座していた。
─────怖っ!
軽く鳥肌。
あの日の小屋の前のティータイムが再来したかのような。
ジーも気づいているらしい。
ただし、ユンとは違う。
ちょっとだけさっきまでのベータと同じような、絶対にユンが知らない何かを知っている顔をして目をそらしている。
「ジー」
ジーに向かって、しっしっと手で追い払うようなしぐさをするコーウィッヂ。
口元はにっこり。目は全く笑っていない。
「ユンさん、ちょっとだけ、いい?」
ユンの体の全神経が告げている。
ヤ・バ・イ。
「あのね、正直に答えてほしいんだ」
寒気が止まらないのにコーウィッヂの造形の美しさに見とれてしまう自分はおかしいのだろうかとユンは自問自答するも、答えは出ない。
少年の腕がするっと伸び、ユンの汗ばんだ鼻先にちょこんと触れる。
そわりそわりとユンの中の何か、恐怖とは違う方向のものが動いたのは一瞬だけで。
「この前小屋でお茶した時と、今さっきベータに挨拶した時、何考えてたの?」
絶対零度の言葉を耳元で流し込まれた瞬間、一気に猛烈な悪寒。
─────ベータさんに悪い。
─────けど私の雇い主はコーウィッヂ様。
─────というかもうこれ私的には命の危機じゃね?
ユンは辞書から躊躇という字を消した。